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それ弥陀みだ如来によらいほんぐわんまふことは、 末代まちだいあくのあさましきをすくひましますせいぐわんなり。 それにつきてはなにとやうにこゝろをもち、 またなにとやうに弥陀みだしんじまひらせて、 こむゐちだいしやうをばねがふべきぞといふに、 なにのやうもなく、 まづわが悪業あくごふ煩悩ぼむなうこゝろをばうちすてゝ、 たゞ弥陀みだにまかせまひらせて、 もろもろのざふぎやうこゝろをとゞめてひとすぢに弥陀みだ如来によらいこむしやうたすけたまへとひしとたのみまふさんひとをば、 あやまたずたすけたまふべきことさらにそのうたがひあるべからず。 かやうにふかくしんぜんひとをばもらさずおんたすけあるべし。 さてこののちには、 南无なもわあ弥陀みだぶち南无なもわあ弥陀みだぶちととなふべし。 これを仏恩ぶちをん報尽ほうじん称名しようみやう念仏ねむぶちとはまふすなり。 このほかにはなにといふこともあるべからざるものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

明応六年四月廿七日