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抑東国方の人と覚て、 誠に物しりがほなる客僧一人ありけるが、 当所幸善の前のほそ道より北へとほりけるが、 誰人にてわたり候けるやらん、 入道の六十有余ばかりに目のちとわろき人にあひて申しけるは、 我は諸国行脚の僧にて候が、 凡此方の体を見及び申に、 誠に神領とみえて八幡大菩薩をあがめ給ふ風情、 言語道断殊勝にこそ覚へ候へ。 乍去後生のことまでは道心もさの0369みおこされたる体はみえ給はずと見及申候ぬ。

夫八幡大菩薩と申し候は、 忝も本地は西方極楽世界の阿弥陀如来の変化にてましましけり。 されば阿弥陀如来と申は、 極悪の衆生のむなしく地獄におちなんとするをあはれみかなしみおぼしめして、 いかにもこれをたすけんがためにとて、 五劫があひだ思惟し、 永劫があひだ修行して、 すでに其願成就して十劫に正覚をなりて、 其名を阿弥陀仏と申し奉りけり。 而に又弓矢のみちをまもらんとちかひて、 和光のちりにまじはり、 忝も八幡大菩薩とあらはれ給へり。 これはまよひの衆生をつゐにまことのみちにすゝめ入しめんがための方便也とみえたり。 しかれば当所の人々の体を見及に、 今生ばかりを本として後生までのことをば心にも入れ給ずとみえたり。 これは八幡大菩薩の御意にはよも御叶候はじと思ひ侍べり。 そのいはれはいかんといふに、 今生・後生とは申せども、 後生こそなを大事にこそ候へ。 今生はいかやうに候とも、 後生に極楽にまひり仏になり候はんこそ、 目出事にては候はんずれ。 たとひ今生がいみじくたのしく候とも、 後生に地獄におち候はば、 なにともなきいたづら事にてあるべく候。 さればなにのわづらひもなき事にて候。 後生をばしかと阿弥陀仏を一心にたのみ奉り、 今生は幸に神領にむまれあひたる身なれば、 大菩薩の御恩とおぼしめしさだめ候はゞ、 八幡大菩薩の御素意にもあひかなひ給べきものなり。 されば本地垂迹と申せども、 本地をたのめば垂迹の御こゝろにもかなふ道理にて候あひだ、 今生・後生とりはづさずして、 しかるべきやうに御分別あるべく候。 如法如法、 推参の申事にて候へども、 心にうか0370むをとり本地垂迹の御めぐみに御叶候やうにと存じて、 心をのこさず申候也。 されば大菩薩の御歌にも、

いにしへの 我名を人の あらはして
南無阿弥陀仏と いふぞうれしき

後生は 世にやすけれど みな人の
まことのこゝろ なくてこそせね

ともあそばされて候へば、 阿弥陀仏を一心にたのみ給はゞ、 八幡大菩薩の御こゝろに御叶候はん事うたがひなく候。 よくよく御こゝろえあるべく候也。 これまでにて候とていとま申すといひて、 つゝみを東へ八幡辺へとて、 いそぎかへりたまひにき。 此事をこれを来りて如此かたりける程に、 あまりに此客僧の事不思議に思ひし間、 これをかきしるし畢。

右此書は、 当所はり木原辺より九間在家え仏照寺所用之子細ありて出行之時、 路次にて此書をひろひて当坊江物来れり。 あまりに不思議なりし間、 早筆に書記之者也。

文明九年 丁酉 十二月廿三日 云々