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それ曠劫多生をふるともむまれがたきは人界の生、 无量億劫ををくるともあひがたき仏経にあへり。 釈尊の在世にむまれあはざることはかなしみなりといへども、 いま教法流布の世にむまれあひぬることは、 これよろこびのなかのよろこびともいひつべし。 たとへば目しゐたるかめの浮木のあなにあへるがごとし。 しかるに我朝に仏法流布せしことは、 欽明天皇の御宇よりはじめて仏法わたれり。 それよりさきには如来の教法も流布0359せざりしかば、 菩提の覚道をもきかざりき。 こゝにわれらいかなる善因によりてか仏法流布の世にむまれて、 生死解脱の道をきくことをえたり。 まことにもてあひがたくしてあふことをえたり。 いたづらにあかしくらしてやみなんことこそかなしけれ。 これによりてしづかに人間の風体をみをよぶに、 あるひは山谷の花をもてあそんで遅々たる春の日をむなしくくらし、 あるひは南楼の月をあざけりて漫々たる秋の夜をいたづらにあかし、 あるひは厳冬にこほりをしのぎて世路をわたり、 あるひは炎天にあせをのごひて利養をもとめ、 あるひは妻子眷属にまつわれて恩愛のきづなきりがたく、 あるひはしゆうてきをん類にあひて瞋恚のほむらやむことなし。 総じてかくのごとくして、 昼夜朝暮、 行住座臥ときとしてやむことなし。 たゞほしゐまゝにあくまで三途・八難をかさね、 昨日もいたづらにくれぬ、 今日もまたむなしくすぎぬ。 さらにもてたれのひとも、 のちの世を大事とおもひ、 仏法をねがふことまれなりとす。 かなしむべし、 かなしむべし。 しかるに諸宗の教門各々にわかれて、 宗々にをひて大小権実を論じ、 あるひは甚深至極の義を談ず。 いづれもみなこれ経論の実語にして、 そもそもまた如来の金言なり。 さればあるひは機をとゝのへてこれをとき、 あるひはときをかゞみてこれををしへたり。 いづれかあさくいづれかふかき、 ともに是非をわきまへがたし。 かれも教これも教、 たがひに偏執をいだくことなかれ。 修行せばみなことごとく生死を過度すべし、 法のごとく修せばともに菩提を証得すべし。 修せず行ぜずしていたづらに是非を論ぜば、 たとへば目しゐたるひとのいろの浅深を0360論じ、 耳しゐたるひとのこゑの好悪をたゞさんがごとし。 たゞすべからく修行すべきものなり。 いづれも生死解脱のみちなり。 しかるにいまの世は末法濁乱のときなれば、 諸教の得道はめでたくいみじけれども、 人情劣機にして、 観念・観法をこらし行をなさんこともかなひがたき時分なり。 これによりて末代の凡夫は、 弥陀大悲の本願をたのまずは、 いづれの行を修してか生死を出離すべき。 このゆへに一向に不思議の願力に乗じて、 一心に阿弥陀如来を帰命すべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

文明九 丁酉 十月 日