本書の著者である聖覚せいかく法印ほういんは、 りゅうかんりっとともに、 師法然ほうねんしょうにんよりあつく信任されていた人である。 本書は上人よりそうじょうする念仏往生の要義を述べて、 表題のごとくただ信心を専修せんじゅ念仏の肝要かんようとすることを明らかにされたものである。
 本書の前半には、 まず仏道にはしょうどうもんと浄土門の二門があり、 浄土門こそが末法まっぽうの世のしゅじょうにかなうものであると選びとり、 その浄土門にまた諸行をはげんで往生を願う諸行往生と、 称名しょうみょう念仏して往生を願う念仏往生とがあるが、 自力の諸行では往生をとげがたい旨を示して他力の念仏往生こそ仏の本願にかなうことが述べられる。 さらにこの念仏往生について専修と雑修ざっしゅとがあることを示して、 阿弥陀仏の本願を信じ、 ただ念仏一行をつとめる三心具足の専修のすぐれていることを明らかにし、 念仏には信心を要とすることが述べられる。
 また後半には(1)臨終念仏とじんじょう念仏、 (2)弥陀願力とせんの罪業、 (3)五逆と宿しゅくぜん、 (4)一念と多念の四項についての不審をあげて、 それを明確にけっちゃくされている。 すなわち前半はけんしょうの段、 後半はじゃの段である。
 親鸞しんらんしょうにんは関東在住の頃から本書を尊重され、 門弟にもしばしば本書の熟読を勧められた。 しかも、 帰洛後には本書を註釈されて ¬唯信ゆいしんしょうもん¼ を著され、 本書の意義をさらに説き明かされている。