別名 ¬念仏ねんぶつほう¼ という。 源信げんしんしょうの法語と伝えられるがさだかではない。 本書には、 妄念もうねん煩悩ぼんのうぼんであっても、 本願をたのんで念仏すれば、 臨終の時に来迎らいこうにあずかって浄土に往生できるということが、 次の三段に分けて説かれている。
 第一段では、 さん悪道まくどうを離れて仏法に遇うことのできる人間に生れたことは大きな喜びであると説かれる。 これは ¬おうじょうようしゅう¼ のえん穢土えどごんじょうの意を述べたものと見られている。
 第二段では、 信心は浅くても本願が深いから、 本願をたのむ人は浄土に往生することができる。 また、 だいがちの念仏であっても、 莫大などくを具しているから、 称えれば、 仏の来迎にあずかることができると説かれる。
 第三段では、 凡夫は臨終まで妄念から離れることはできないが、 念仏すれば、 必ず来迎にあずかり、 浄土に往生して妄念をひるがえすことができると説かれる。