本書は、 題号に示されるように阿弥陀仏のみょうごうを信受し、 かたくしゅう (とりたもつ) する他力信心の要義を説示された書である。 本文は五箇条の法語より構成され、 前四条は親鸞しんらんしょうにんの法語により、 後一条は第三代宗主覚如かくにょしょうにんみずからのお心を述べられ、 信心を正しくたもつことを勧められている。
 まず第一条は、 平生へいぜいごうじょうの宗義について論じられている。 臨終来迎らいこうは臨終業成を説く諸行往生の行者においていうところであり、 第じゅう願のこころである。 これに対して、 第十八願の他力信心の行者は、 摂取せっしゅしゃやくにあずかって、 この世で正定しょうじょうじゅに住するから、 臨終の来迎を期待しない旨が示されている。
 第二条は、 往生浄土のためには信心が根本であって、 ただひとすじに阿弥陀仏にまかせまいらせるべきであるといい、 師教に随順すべきことを法然ほうねん・親鸞両聖人の関係の上より論じられている。
 第三条は、 阿弥陀仏の浄土への往生は、 ぼんのはからいによるのではなく、 阿弥陀仏の大願だいがん業力ごうりきのすぐれた因縁いんねんによる旨を善導ぜんどうだいの釈文により説明されている。
 第四条は、 こうみょう (縁) みょうごう (因) の因縁を信ずるという他力せっしょうの旨趣が述べられている。
 第五条は、 信一念往生・平生業成という真宗教義の要義についての覚如上人のとくが説示されている。
 じょうせんの ¬最須さいしゅ敬重きょうじゅう絵詞えし¼ に、 「平生へいぜいごうじょうげんこれにあり、 りきおうじょう深要じんようたふとむべし」 と本書の旨趣について評しているゆえんである。