本書題号の 「でん」 とは、 口づてに伝えるという意味で、 じゅでん面授めんじゅけつなどというのと同じである。 冒頭に 「本願ほんがんらんしょうにん如信にょしんしょうにんたいしましまして、 をりをりのおんものがたり条々じょうじょう」 とあり、 また第三代宗主覚如かくにょしょうにん自筆本のしきには 「せんしょうにん (しゃく如信にょしん) 面授めんじゅけつ専心せんしん専修せんじゅ別発べっぽつがん談話だんかいするのついでに、 でんしたてまつるところの祖師そししょうにんしょうそうじょうしたてまつるところのりきしんしゅう肝要かんようひつをもつてこれをしるさしむ」 と記されている。 これによれば、 本書は、 親鸞しんらんしょうにんが第二代宗主如信上人に物語られた他力真宗の肝要を、 如信上人が覚如上人に伝えられ、 その面授口決の祖師聖人の己証の法門を二十一箇条に分けて筆録し、 聖人の教えを顕彰しようとしたものであるといわれるのである。 覚如上人が五年前に編述された ¬しゅうしょう』には、 如信相承は説かれていない。 本書にいたってはじめて法然ほうねん-親鸞-如信という三代さんだいでんけちみゃくを主張し、 法然上人の正しい教義の伝承は親鸞聖人においてなされ、 さらにそれが如信上人をとおして覚如上人に伝授されてあることを主張し、 師資ししそうじょうを明確にしようとされたのである。 すなわち、 一には法然上人門下の浄土異流の中心である鎮西ちんぜい西山せいざん派に対し、 その派祖のべんちょうしょうくうを本書のなかで批判し、 親鸞聖人の一流が正しく法然上人を伝統するものであることを示し、 二には聖人の直弟を中心とする門弟系の教団に対し、 覚如上人を中心とする大谷本願寺が一宗の根本であることを顕示し、 三には真宗教義の中核が、 信心正因、 称名しょうみょう報恩ほうおん義であることをあらわそうとされたのである。