浄土三部経
 本経は、 浄土三部経の一であり、 「無量寿仏観経」 「無量寿観経」 ともいわれ、 「観経」 と略称される。
 本経は、 畺良耶舎の訳と伝えられる。 畺良耶舎は、 三蔵にひろく精通していた西域の相で、 劉宋の元嘉年間 (424~453) の初めに建康 (現在の南京) に入り、 本経などを訳出したとされる。 浄土三部経のうち、 ¬大経¼ や ¬小経¼ の漢訳については数種の意訳が確認されているのに対して、 本経には畺良耶舎による一本のみしか現存していない。 唐代の ¬大周刊定衆経目録¼ や ¬開元釈教録¼ 等には、 本経の異訳として曇摩密多による ¬観無量寿仏経¼ の訳出が記されており、 ここから一存一欠といわれるが、 今日ではこれらの記述の信憑性を疑問視する説もある。 また、 本経には、 サンスクリット本もチベット語訳も現存しない。 他にトルファン出土のウイグル語訳の断簡が発見されているが、 その内容より畺良耶舎訳からの重訳と考えられている。
 本経の成立については、 上述のような原典に類する文献が伝存しない、 あるいは漢訳からの重訳のみしか現存しないなどの事情から、 インド成立について疑問が呈されるようになった。 そこで、 六観経をはじめとした観仏経典や他文献との比較、 思想内容や構成、 訳語や用語、 地域性、 美術的背景、 など多岐にわたる視点から証拠を示して複数の説が立てられている。 すなわち、 インド撰述説以外に中国撰述説、 中央アジア撰述説、 またはそれらの地域をまたいで成立したとみる説がある。 さらに、 これらの中には本経を一度に成立したとみるのではなく、 原形に増補・改訂して段階的に成立したとみる説、 あるいは既に先行して成立していた諸要素をまとめて編集した説などがあって、 いまだ定説をみるには至っていない。
 本経は 「王舎城の悲劇」 といわれる釈尊在世当時に王舎城にておこった事件を契機として説かれており、 劇的な導入になっている序分には以下のような事情が示される。 阿闍世太子は、 悪友の提婆達多にそそのかされ、 父である頻婆娑羅王を幽閉し、 その王に食物を運んだ王妃韋提希夫人までも宮殿の奥深くに閉じ込めた。 わが子によって囚われの身となった夫人は、 悲しみに打ちひしがれながらも、 耆闍崛山にいた釈尊を心に念じ、 弟子の阿難・目連を遣わして説法してもらうよう求める。 すると次の瞬間に両者を従えた釈尊が目の前に出現し、 夫人は憂い悩みを抱えた胸の内を打ち明ける。 苦しみ悩むことのない世界に生まれたいという夫人の求めに応じて、 釈尊は十方諸仏の国々を照らし出し、 夫人はその中から阿弥陀仏の浄土に往生したいと願う。 そこで、 浄土を思い描く十六の観想の法が説かれるのである。 それらの観法の中に示される浄土と阿弥陀仏や聖衆のことは、 ¬大経¼ や ¬小経¼ に説かれる浄土の荘厳相に影響を受けつつ、 さらにそれを展開させた内容となっている。
 善導大師は、 本経に示された十六観を二分し、 前十三観を精神を統一した安心の状態で浄土と阿弥陀仏や聖衆を観想する定善と呼び、 韋提希の請いに応じて説かれた内容とした。 その内訳は、 (1)日想観(2)水想観(3)地想観(4)宝樹観(5)宝池観(6)宝楼観(7)華座観(8)像観(9)真身観(10)観音観(11)勢至観(12)普観(13)雑想観である。 このうち、 (7)華座観には、 釈尊が阿難と韋提希夫人に 「汝が為に苦悩を除く法を分別し解説すべし」 と言ったその時、 阿弥陀仏が観音勢至の二菩薩をともなって空中に住立したとあり、 大師は釈尊の声に応じて阿弥陀仏が姿を現し、 自ら夫人の往生を証明したとしている。 続いて第十四観以下の三観は、 精神統一をしない散乱心のままで善を修めて浄土に往生する行法であり、 大師はこれを散善と呼んで、 釈尊が自ら開説された内容とみている。 ここでは、 阿弥陀仏の浄土に往生することを願う衆生を、 上中下の三品に分け、 さらにそれぞれを上中下に分けて、 上品上生から下品下生までの九品に分類し、 修めるべき善とその行法の程度が説かれている。 上品には大乗の行福、 中品には小乗の戒福や世福が説かれ、 下品にはそれらの善を修めることができない者のために念仏によって往生する教えが説かれている。 大師は、 流通分において阿難に称名が付属されたことに注目し、 凡夫の往生が阿弥陀仏の本願に誓われた称名念仏のほかにはないことを明かしている。
 本経に影響を与えた経典としてまず挙げられるのは、 ¬大経¼ ¬小経¼ であるが、 ¬観仏三昧経¼ や ¬般舟三昧経¼ などに類似する語句や思想内容のあることも指摘されている。 また、 成立後には中国の仏教界において広く伝えられ、 西域や日本においても親しまれる経典となっていった。 中国では、 とくに曇鸞大師・道綽禅師という系譜によって浄土経典としての位置づけが明らかにされ、 さらに善導大師によって本経を領解する基本的な枠組みが示されていく。 そこで、 本経を理解していくには、 この善導大師の指南によらなければならないが、 その詳細については ¬観経疏¼ の解説を参照されたい。