本書は題号に 「みょう」 とあるように、 南無阿弥陀仏のみなたもつことで、 一向いっこう専修せんじゅの念仏を勧めることをその根本主張とするものである。
 本書は本末二巻に分れている。 本巻においては、 まずしょうを離れ仏道を求めるべきことを述べ、 求道心を確立すべきことを勧め、 次いで仏教にはっしゅうあるなか、 しょうどうもんの教えをすてて、 念仏往生の一門に帰すべきことが説かれる。 今の世は末法まっぽうであり、 この末代相応の要法ようぼうけつじょうおうじょうの正因は専修念仏の一行であるというのである。 この旨を浄土三部経や善導ぜんどうだいの釈によって詳論し、 それを法然ほうねんしょうにん親鸞しんらんしょうにんが伝承されていることが記されている。 また念仏のどくについて、 天台てんだいだい智顗ちぎおんだい窺基ききの釈でもって説明し、 念仏一行が諸行よりすぐれている点を讃仰されている。
 末巻においては、 三問答をあげて浄土真宗の要義を述べられている。 第一問答においては、 親鸞聖人の一流を汲む念仏者は神明しんめいにつかえるべきでないことが教示されている。 第二問答においては、 念仏の行者が諸仏さつの擁護と諸天善神の加護を受けるというが、 それは浄土に往生させるために、 ただ行者の信心を守護したもうのみか、 あるいはこんじょうの穢体をまもり、 もろもろの願いをも成就させんためかと問い、 仏菩薩は信心をまもることを本意とするが、 さらに信心の行者も護られ、 げんしょうに大きなやくを得ると論じられている。 第三問答では、 信心と念仏の関係について論じ、 一向専修の念仏は信心を具足した他力念仏であるとして、 信心具足の念仏を勧められている。