二百数十通あるぶんしょうのなかから肝要かんようなものを抽出して ¬じょうのぶんしょう¼ を編纂する時、 初めに八十五通が選定されたといわれている。 そのなかで、 当時本山においてのみ儀式として読誦どくじゅされ、 門徒に付与されない ¬げのぶんしょう¼ 四通と ¬ぞくしょう¼ 一通の五通を別行し、 五帖八十通とされたのである。 すなわち、 ¬夏御文章¼ は夏中九十日のあんに拝読され、 ¬御俗姓¼ はしょう報恩ほうおんこうに拝読されるという ¬御文章¼ の儀式的な読誦の端を開いたものであった。
 この ¬夏御文章¼ 四通は、 明応めいおう七年 (1498) 第八代宗主蓮如れんにょしょうにんが八十四歳の時に述作されたものであり、 第一通と第二通は五月下旬、 第三通は六月下旬、 第四通は七月下旬と ¬じおのふみ¼ に年紀が記されている。 第四通目は内容より二通が一通となっていることが知られるので、 第十七代宗主法如ほうにょ上人がこれを両軸とされてから本願寺派では五通としているのである。
 上人は明応七年の四月初めに昨年の病が再発し、 当時の著名な医師の診察を受け、 同五月七日には山科の親鸞しんらんしょうにん影像にいとま乞いのために上洛されている。 そうしたなかで聞法もんぼうの肝要なることを厳しく諭し、 「もろもろのぞうぎょうをすてて一心いっしん弥陀みだ如来にょらいをたのみ、 こんのわれらがしょうたすけたまへともうす」 (第一通・第二通) と安心あんじんの相状を詳らかにして信心を勧められている。