17 本願ほんがん 本願の意味には因本いんぽんの願と根本の願の二つがあるといわれている。 因本の願とは、 いんのときにおこされた願いということである。 この願いには、 それが完成しなければ仏に成らぬという誓いをともなっているので誓願といわれる。 この因本の願には、 総願と別願とがある。 総願とは、 すべてのさつが共通しておこすものであり、 「無辺のしゅじょうを救済しようという願い、 無数の煩悩を断とうという願い、 無尽の法門を知ろうという願い、 無上の仏道を成就しようという願い」 のいわゆるぜいがんとして知られている。 次に別願とは、 それぞれの菩薩に特有なものであり、 これによってそれぞれの仏の性格が異なってくる。 阿弥陀仏が因位のときにおこされた四十八願は、 この別願である。 ¬だいきょう¼ (上) には、 法蔵ほうぞう菩薩がざい王仏おうぶつのもとで二百一十億の諸仏の浄土のなかより、 粗悪なものを選び捨てて、 善妙なものを選び取り四十八願を建立したと説かれてある。
 根本の願いとは、 この四十八願は第十八願を根本とし、 余の四十七願は第十八願を開いた枝末の願とみることをいう。 そこで法然ほうねんしょうにんは、 第十八願を本願中の王といい、 第十八願の念仏を難劣な諸行を選び捨てて、 選びとられたしょうそくの行であるというので、 これを選択せんじゃく本願念仏といわれた。
 第十八願には、 「たとひわれ仏を得たらんに、 十方じっぽうの衆生、 しんしんぎょうして、 わが国にしょうぜんとおもひて、 ない十念せん。 もし生ぜずは、 しょうがくを取らじ。 ただ五逆とほうしょうぼうとをば除く」 とある。 親鸞しんらんしょうにんはここに誓われてあるぎょう (=十念)、 信 (=至心信楽欲生)、 証 (=衆生の往生)、 真仏土 (=阿弥陀仏の成仏) をそれぞれ、 第十七・十八・十一・十二・十三願に配当される。 この五願は真実五願といわれ、 ¬きょうぎょうしんしょう¼ の各巻の冒頭にかかげられている。 これによって浄土真宗の法門は、 総じていえば第十八願、 開いていえば真実五願によって成就されこうされたものであることを知らしめられたのである。