本書の著者は不明であるが、 第八代宗主蓮如れんにょしょうにんの指南によって本願寺派では聖教しょうぎょうとみなしている。 その内容は本末二巻に分かれ、 三文の引用と四事の説明によって成り立っているところから、 古来三文四事の聖教といわれている。 三文とは、 ¬おうじょう礼讃らいさん¼ の第十八願加減の文、 ¬おうじょうろん¼ (¬じょうろん¼) の 「如来にょらいじょうしゅしょうがくしょう」 の文、 ¬ほうさん¼ の 「極楽ごくらく無為むいはんがい…」 の文であり、 四事とは、 (1)自力他力日輪の事、 (2)四種往生の事、 (3)¬観仏かんぶつ三昧ざんまいきょう¼ のえんだんごんの事、 (4)しん不離ふりの喩えである。
 本書の中心思想は、 ほう一体いったいろんである。 まず本巻では、 第十八願加減の文によってしゅじょうの往生 (機) と仏のしょうがく (法) の一体を示し、 続いて機法一体のみょうごうについて論じて、 念仏衆生の三業さんごうと仏の三業とが一体であることを示す。 末巻では、 ¬往生論¼ の文を引き、 如来の機法一体の正覚について論じ、 ¬法事讃¼ の文を引いて、 正覚は無為むい無漏むろであり、 名号は機法一体の正覚と不二であるところから、 念仏三昧もまた無為無漏であると説いている。 最後に(1)自力と他力を闇夜と日輪に喩え、 (2)正念・狂乱・無記・意念の四種の往生が、 阿弥陀仏の摂取によって可能であることを明かし、 (3)念仏三昧のやくを閻浮檀金に喩え、 (4)行者の心と阿弥陀仏の摂取せっしゅしゃこうみょうとの不離を薪と火との不離に喩えて、 これによって南無阿弥陀仏の義意をあらわされている。