◗100: 1  無量寿経優婆提舎願生偈註 巻下

◗100: 5 【44】論じて曰はく。

◗100: 6  これはこれ解義分なり。この分のなかに、義に十重あり。一には願偈大意、二には起観生信、三には観行体相、四には浄入願心、五には善巧摂化、六には離菩提障、七には順菩提門、八には名義摂対、九には願事成就、十には利行満足なり。

◗100: 9 論とは議なり。いふこころは偈の所以を議するなり。曰とは詞なり。下の諸句を指す。これは偈を議釈する詞なり。ゆゑに論じて曰はくといふ。

◗100:12 【45】願偈大意とは、

◗100:13 この願偈はなんの義をか明かす。かの安楽世界を観じて阿弥陀如来を見たてまつることを示現す。かの国に生ぜんと願ずるがゆゑなり。

◗100:15 【46】起観生信とは、この分のなかにまた二重あり。一には五念力を示す。二には五念門を出す。

◗101: 2 【47】五念力を示すとは、

◗101: 3 いかんが観じ、いかんが信心を生ずる。もし善男子・善女人、五念門を修して行成就しぬれば、畢竟じて安楽国土に生じて、かの阿弥陀仏を見たてまつることを得。

◗101: 6 【48】五念門を出すとは、

◗101: 7 なんらか五念門。一には礼拝門、二には讃嘆門、三には作願門、四には観察門、五には回向門なり。

◗101: 9  門とは入出の義なり。人、門を得ればすなはち入出無礙なるがごとし。前の四念はこれ安楽浄土に入る門なり。後の一念はこれ慈悲教化に出づる門なり。

◗101:12 【49】いかんが礼拝する。身業をもつて阿弥陀如来・応・正遍知を礼拝したてまつる。

◗101:14  諸仏如来に、徳無量あり。徳無量なるがゆゑに徳号また無量なり。もしつぶさに談ぜんと欲せば、紙筆も載することあたはず。ここをもつて諸経に、あるいは十名を挙げ、あるいは三号を騰げたり。けだし至宗を存ずるのみ。あにここに尽さんや。いふところの三号は、すなはちこれ如来と応と正遍知なり。

◗102: 3 如来とは、法相のごとく解り、法相のごとく説き、諸仏の安穏道より来るがごとく、この仏もまたかくのごとく来りて、また後有のなかに去らず。ゆゑに如来と名づく。

◗102: 5 応とは応供なり。仏は結使除尽して一切の智慧を得て、応に一切の天地の衆生の供養を受くべきがゆゑに応といふなり。

◗102: 6 正遍知とは、一切諸法は実に不壊の相にして不増不減なりと知る。いかんが不壊なる。心行処滅し、言語の道過ぎたり。諸法は涅槃の相のごとくにして不動なり。ゆゑに正遍知と名づく。

◗102: 9 無礙光の義は、前の偈のなかに解するがごとし。

◗102:10 【50】かの国に生ずる意をなすがゆゑなり。

◗102:11  なんがゆゑぞこれをいふとなれば、菩薩の法は、つねに昼三時・夜三時をもつて十方一切諸仏を礼す。かならずしも願生の意あるにあらず。いまつねに願生の意をなすべきがゆゑに、阿弥陀如来を礼したてまつるなり。

◗102:14 【51】いかんが讃嘆する。口業をもつて讃嘆したてまつる。

◗102:15  讃とは讃揚なり。嘆とは歌嘆なり。讃嘆は口にあらざれば宣べず。ゆゑに口業といふなり。

◗103: 2 【52】かの如来の名を称するに、かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、如実に修行して相応せんと欲するがゆゑなり。

◗103: 4  かの如来の名を称すとは、いはく、無礙光如来の名を称するなり。

◗103: 4 かの如来の光明智相のごとくとは、仏の光明はこれ智慧の相なり。この光明は十方世界を照らしたまふに障礙あることなし。よく十方衆生の無明の黒闇を除くこと、日・月・珠光のただ空穴のなかの闇をのみ破するがごときにはあらず。

◗103: 8 かの名義のごとく、如実に修行して相応せんと欲すとは、かの無礙光如来の名号は、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。

◗103:10 しかるに名を称し憶念すれども、無明なほありて所願を満てざるものあり。なんとなれば、如実に修行せず、名義と相応せざるによるがゆゑなり。

◗103:11 いかんが如実に修行せず、名義と相応せざるとなすとならば、いはく、如来はこれ実相身なり、これ為物身なりと知らざればなり。

◗103:13 また三種の不相応あり。一には信心淳からず、存ずるがごとく亡ずるがごときゆゑなり。二には信心一ならず、決定なきがゆゑなり。三には信心相続せず、余念間つるがゆゑなり。

◗103:15 この三句展転してあひ成ず。信心淳からざるをもつてのゆゑに決定なし。決定なきがゆゑに念相続せず。また念相続せざるがゆゑに決定の信を得ず。決定の信を得ざるがゆゑに心淳からざるべし。

◗104: 3 これと相違せるを如実に修行し相応すと名づく。このゆゑに論主、我一心と建言す。

◗104: 5  問ひていはく、名をば法の指となす。指をもつて月を指すがごとし。もし仏の名号を称するにすなはち願を満つることを得といはば、月を指す指、よく闇を破すべし。もし月を指す指、闇を破することあたはずは、仏の名号を称すとも、またなんぞよく願を満てんや。

◗104: 8 答へていはく、諸法万差なり。一概すべからず。名の法に即するあり。名の法に異するあり。

◗104: 9 名の法に即するとは、諸仏・菩薩の名号、般若波羅蜜、および陀羅尼の章句、禁呪の音辞等これなり。

◗104:11 禁腫の辞に、日出東方乍赤乍黄等の句をいふがごとし。たとひ酉亥に禁を行じて、日出に関らざれども、腫、差ゆることを得。

◗104:12 また師に行くに陣に対ひてただ一たびも切歯のなかに臨兵闘者皆陣列前行と誦するがごとし。この九字を誦するに五兵の中らざるところなり。抱朴子これを要道といふものなり。

◗104:15 また転筋を苦しむもの、木瓜をもつて火に対てこれを熨すにすなはち愈えぬ。また人ありて、ただ木瓜の名を呼ぶにまた愈えぬ。わが身にその効を得るなり。

◗105: 2 かくのごとき近事は世間にともに知れり。いはんや不可思議の境界なるものをや。滅除薬を鼓に塗る喩へ、またこれ一事なり。この喩へはすでに前に彰すゆゑにかさねて引かず。

◗105: 4 名の法に異するありとは、指の月を指すがごとき等の名なり。

◗105: 6 【53】いかんが作願する。心につねに願を作し、一心にもつぱら畢竟じて安楽国土に往生せんと念ず。如実に奢摩他を修行せんと欲するがゆゑなり。

◗105: 9  奢摩他を訳して止といふ。止とは、心を一処に止めて悪をなさず。

◗105:10 この訳名はすなはち大意に乖かざれども、義においていまだ満たず。なにをもつてこれをいふとならば、心を鼻端に止むるがごときをもまた名づけて止となす。不浄観の貪を止め、慈悲観の瞋を止め、因縁観の痴を止む。かくのごとき等をもまた名づけて止となす。人のまさに行かんとして行かざるがごときをもまた名づけて止となせばなり。

◗105:14 ここに知りぬ、止の語は浮漫にしてまさしく奢摩他の名を得ずと。椿・柘・楡・柳のごときをみな木と名づくといへども、もしただ木といふときは、いづくんぞ楡・柳を得んや。

◗106: 1 奢摩他を止といふは含みて三の義あり。

◗106: 2 一には一心にもつぱら阿弥陀如来を念じてかの土に生ぜんと願ずれば、この如来の名号およびかの国土の名号、よく一切の悪を止む。

◗106: 4 二にはかの安楽土は三界の道に過ぎたり。もし人またかの国に生ずれば、自然に身口意の悪を止む。

◗106: 5 三には阿弥陀如来の正覚住持の力、自然に声聞・辟支仏を求むる心を止む。

◗106: 6 この三種の止は如来の如実の功徳より生ず。このゆゑに如実に奢摩他を修行せんと欲するがゆゑなりといへり。

◗106: 8 【54】いかんが観察する。智慧をもつて観察し、正念にかしこを観ず。如実に毘婆舎那を修行せんと欲するがゆゑなり。

◗106:10  毘婆舎那を訳して観といふ。ただ汎く観といふには、義またいまだ満たず。なにをもつてこれをいふとならば、身の無常・苦・空・無我・九想等を観ずるがごときをも、みな名づけて観となせばなり。また上の木の名の椿・柘を得ざるがごとし。

◗106:13 毘婆舎那を観といふはまた二の義あり。

◗106:13 一には、ここにありて想をなしてかの三種の荘厳功徳を観ずれば、この功徳如実なるがゆゑに、修行するものもまた如実の功徳を得。如実の功徳とは、決定してかの土に生ずることを得るなり。

◗107: 1 二には、またかの浄土に生ずることを得れば、すなはち阿弥陀仏を見たてまつり、未証浄心の菩薩、畢竟じて平等法身を証することを得。浄心の菩薩と上地の菩薩と、畢竟じて同じく寂滅平等を得るなり。

◗107: 4 このゆゑに如実に毘婆奢那を修行せんと欲するがゆゑなりといへり。

◗107: 5 【55】かの観察に三種あり。なんらか三種。一にはかの仏国土の荘厳功徳を観察す。二には阿弥陀仏の荘厳功徳を観察す。三にはかの諸菩薩の荘厳功徳を観察す。

◗107: 8  心にその事を縁ずるを観といふ。観心分明なるを察といふ。

◗107: 9 【56】いかんが回向する。一切苦悩の衆生を捨てずして、心につねに願を作し、回向を首となす。大悲心を成就することを得んとするがゆゑなり。

◗107:11  回向に二種の相あり。一には往相、二には還相なり。

◗107:11 往相とは、おのが功徳をもつて一切衆生に回施して、ともにかの阿弥陀如来の安楽浄土に往生せんと作願するなり。

◗107:13 還相とは、かの土に生じをはりて、奢摩他・毘婆舎那を得、方便力成就すれば、生死の稠林に回入して一切衆生を教化して、ともに仏道に向かふなり。

◗107:15 もしは往、もしは還、みな衆生を抜きて生死海を渡せんがためなり。このゆゑに回向を首となす。大悲心を成就することを得んとするがゆゑなりといへり。

◗108: 3 【57】観察体相とは、この分のなかに二の体あり。一には器体、二には衆生体なり。

◗108: 4 器の分のなかにまた三重あり。一には国土の体相。二には自利利他を示現す。三には第一義諦に入るなり。

◗108: 6 【58】国土の体相とは、

◗108: 7 いかんがかの仏国土の荘厳功徳を観察する。かの仏国土の荘厳功徳は不可思議力を成就せるがゆゑなり。かの摩尼如意宝の性のごときに相似相対の法なるがゆゑなり。

◗108:10  不可思議力とは、総じてかの仏国土の十七種の荘厳功徳力の、思議することを得べからざるを指すなり。諸経に統べてのたまはく、五種の不可思議あり。一には衆生多少不可思議、二には業力不可思議、三には竜力不可思議、四には禅定力不可思議、五には仏法力不可思議なり。

◗108:13 このなかの仏土不可思議に二種の力あり。一には業力、いはく、法蔵菩薩の出世の善根、大願業力の所成なり。二には正覚の阿弥陀法王善住持力の所摂なり。この不可思議は下の十七種のごとし。一々の相みな不可思議なり。文に至りてまさに釈すべし。

◗109: 1 かの摩尼如意宝の性のごときに相似相対といふは、かの摩尼如意宝の性を借りて、安楽仏土の不可思議の性を示すなり。

◗109: 3 諸仏入涅槃の時、方便力をもつて砕身の舎利を留めてもつて衆生を福す。衆生の福尽きぬれば、この舎利変じて摩尼如意宝珠となる。この珠は多く大海のなかにあり。大竜王、もつて首の飾りとなせり。

◗109: 6 もし転輪聖王世に出づるときは、慈悲方便をもつてよくこの珠を得て、閻浮提において大饒益をなす。もし衣服・飲食・灯明・楽具、意の所欲に随ひて種々の物を須ゐる時に、王すなはち潔斎して、珠を長竿の頭に置きて願を発していはく、もしわれ実にこれ転輪王ならば、願はくは宝珠、かくのごとき物を雨らして、もしは一里に遍し、もしは十里、もしは百里に、わが心願に随へと。

◗109:11 その時にすなはち、虚空のなかにおいて種々の物を雨らして、みな所須に称ひて天下の一切の人の願を満足せしむ。この宝性の力をもつてのゆゑなり。

◗109:13 かの安楽仏土もまたかくのごとし。安楽の性、種々に成就せるをもつてのゆゑなり。

◗109:14 相似相対とは、かの宝珠の力、衣食を求むるには、よく衣食等の物を雨らして求むるものの意に称ふ。これ求めざるにはあらず。かの仏土はすなはちしからず。性満足し成就せるがゆゑに、乏少するところなし。かの性を片取して喩へとなす。ゆゑに相似相対といへり。

◗110: 2 またかの宝は、ただよく衆生に衣食等の願を与ふるも、衆生に無上道の願を与ふることあたはず。またかの宝は、ただよく衆生に一身の願を与ふるも、衆生に無量身の願を与ふることあたはず。かくのごとき等の無量の差別あるがゆゑに相似といへり。

◗110: 6 【59】かの仏国土の荘厳功徳成就を観察すとは十七種あり。知るべし。なんらか十七。

◗110: 7 一には荘厳清浄功徳成就、二には荘厳量功徳成就、三には荘厳性功徳成就、四には荘厳形相功徳成就、五には荘厳種々事功徳成就、六には荘厳妙色功徳成就、

◗110: 9 七には荘厳触功徳成就、八には荘厳三種功徳成就、九には荘厳雨功徳成就、十には荘厳光明功徳成就、十一には荘厳妙声功徳成就、十二には荘厳主功徳成就、

◗110:11 十三には荘厳眷属功徳成就、十四には荘厳受用功徳成就、十五には荘厳無諸難功徳成就、十六には荘厳大義門功徳成就、十七には荘厳一切所求満足功徳成就なり。

◗110:15  先づ章門を挙げ、次に続きて提釈す。

◗111: 1 【60】荘厳清浄功徳成就とは、偈に観彼世界相 勝過三界道といへるがゆゑなり。

◗111: 3  これいかんが不思議なる。凡夫人ありて煩悩成就するもまたかの浄土に生ずることを得れば、三界の繋業、畢竟じて牽かず。すなはちこれ煩悩を断ぜずして涅槃分を得。いづくんぞ思議すべきや。

◗111: 6 【61】荘厳量功徳成就とは、偈に究竟如虚空 広大無辺際といへるがゆゑなり。

◗111: 8  これいかんが不思議なる。かの国の人天、もし意に宮殿・楼閣、もしは広さ一由旬、もしは百由旬、もしは千由旬、千間、万間ならんと欲すれば、心に随ひて成ずるところなり。人おのおのかくのごとし。

◗111:10 また十方世界の衆生、往生を願ずれば、もしはすでに生れ、もしはいま生れ、もしはまさに生るべし。一時一日のあひだをも算数するに、その多少を知ることあたはざるところなり。しかもかの世界つねに虚空のごとし。迫迮の相なし。

◗111:13 かしこのなかの衆生、かくのごとき量のなかに住して、志願広大にしてまた虚空のごとくして限量あることなからん。かの国土の量、よく衆生の心行の量を成ず。なんぞ思議すべきや。

◗112: 2 【62】荘厳性功徳成就とは、偈に正道大慈悲 出世善根生といへるがゆゑなり。

◗112: 4  これいかんが不思議なる。たとへば迦羅求羅虫の、その形微小なれども、もし大風を得れば身は大山のごとし。風の大小に随ひておのが身相となすがごとし。

◗112: 6 安楽に生ずる衆生もまたかくのごとし。かの正道の世界に生ずれば、すなはち出世の善根を成就して正定聚に入ること、またかの風の、身にあらずして身なるがごとし。いづくんぞ思議すべきや。

◗112: 9 【63】荘厳形相功徳成就とは、偈に浄光明満足 如鏡日月輪といへるがゆゑなり。

◗112:11  これいかんが不思議なる。それ忍辱は端正を得。わが心の影響なり。一たびかしこに生ずることを得れば、瞋・忍の殊なりなし。人天の色像は平等妙絶なり。けだし浄光の力なり。かの光は心行にあらずして心行の事をなす。いづくんぞ思議すべきや。

◗112:15 【64】荘厳種々事功徳成就とは、偈に備諸珍宝性 具足妙荘厳といへるがゆゑなり。

◗113: 2  これいかんが不思議なる。かの種々の事、あるいは一宝・十宝・百千種宝、心に随ひ意に称ひて具足せざるはなし。もしなからしめんと欲すれば、儵焉として化没す。心に自在を得ること神通に踰えたることあり。いづくんぞ思議すべきや。

◗113: 6 【65】荘厳妙色功徳成就とは、偈に無垢光炎熾 明浄曜世間といへるがゆゑなり。

◗113: 8  これいかんが不思議なる。その光、事を曜かすにすなはち表裏を映徹す。その光、心を曜かすにすなはちつひに無明を尽す。光、仏事をなす。いづくんぞ思議すべきや。

◗113:11 【66】荘厳触功徳成就とは、偈に宝性功徳草 柔軟左右旋 触者生勝楽過迦旃隣陀といへるがゆゑなり。

◗113:13  これいかんが不思議なる。それ宝の例は堅強なり。しかるにこれは柔軟なり。触の楽は着すべし。しかるにこれは道を増す。事は愛作に同じ。なんぞ思議すべきや。

◗113:15 菩薩あり、愛作と字く。形容端正にして人の染着を生ず。経にのたまはく、これに染するものは、あるいは天上に生じ、あるいは菩提心を発すと。

◗114: 3 【67】荘厳三種功徳成就とは、三種の事あり。知るべし。なんらか三種。一には水、二には地、三には虚空なり。

◗114: 5  この三種并せていふ所以は、同類なるをもつてのゆゑなり。なにをもつてかこれをいふとなれば、一には六大の類なり。いはゆる虚空と識と地と水と火と風となり。二には無分別の類なり。いはゆる地・水・火・風・虚空なり。

◗114: 7 ただ三類といふは、識の一大は衆生世間に属するがゆゑに、火の一大はかしこのなかになきがゆゑに、風ありといへども風は見るべからざるがゆゑに、住処なきがゆゑなり。ここをもつて六大・五類のなかに、ありて荘厳すべきを取りて、三種并せてこれをいふ。

◗114:12 【68】荘厳水功徳成就とは、偈に宝華千万種 弥覆池流泉 微風動華葉交錯光乱転といへるがゆゑなり。

◗114:14  これいかんが不思議なる。かの浄土の人天は水穀の身にあらず。なんぞ水を須ゐるや。清浄成就して洗濯を須ゐず。またなんぞ水を用ゐるや。かしこのなかには四時なし。つねに調適にして熱に煩はず。またなんぞ水を須ゐるや。須ゐずして有なることは、まさに所以あるべし。

◗115: 2 経にのたまはく、かのもろもろの菩薩および声聞、もし宝池に入りて、意に水をして足を没さしめんと欲すれば、水すなはち足を没す。膝に至らしめんと欲すれば、水すなはち膝に至る。腰に至らしめんと欲すれば、水すなはち腰に至る。頚に至らしめんと欲すれば、水すなはち頚に至る。身に潅がしめんと欲すれば、自然に身に潅ぐ。還復せしめんと欲すれば、水すなはち還復す。調和冷煖にして自然に意に随ひて、神を開き体を悦ばしむ。心垢を蕩除し、清明澄潔にして浄きこと形なきがごとし。宝沙映徹して深きをも照らさざることなし。

◗115:10 微瀾回流してうたたあひ潅注す。安詳としてやうやく逝きて、遅からず疾からず。

◗115:11 波は無量自然の妙声を揚ぐ。その所応に随ひて聞かざるものなし。あるいは仏の声を聞き、あるいは法の声を聞き、あるいは僧の声を聞き、あるいは寂静の声、空・無我の声、大慈悲の声、波羅蜜の声を聞き、あるいは十力・無畏・不共法の声、諸通慧の声、無所作の声、不起滅の声、無生忍の声、乃至、甘露潅頂、もろもろの妙法の声を聞く。かくのごとき等の声は、その所聞に称ひて歓喜無量なり。

◗116: 1 清浄・離欲・寂滅・真実の義に随順し、三宝・十力・無所畏・不共の法に随順す。通慧の菩薩・声聞の所行の道に随順す。

◗116: 3 三塗苦難の名あることなし。ただ自然快楽の音のみあり。このゆゑにその国を名づけて安楽といふと。

◗116: 4 この水、仏事をなす。いづくんぞ思議すべきや。

◗116: 5 【69】荘厳地功徳成就とは、偈に宮殿諸楼閣 観十方無礙 雑樹異光色 宝欄遍囲繞といへるがゆゑなり。

◗116: 7  これいかんが不思議なる。かの種々の事、あるいは一宝・十宝・百宝・無量宝、心に随ひ意に称ひて荘厳具足せり。この荘厳の事は、浄明鏡のごとく、十方国土の浄穢の諸相、善悪の業縁、一切ことごとく現ず。かしこのなかの人天、この事を見るがゆゑに、探湯不及の情自然に成就す。

◗116:10 またもろもろの大菩薩、法性等を照らす宝をもつて冠となせば、この宝冠のなかにみな諸仏を見たてまつり、また一切諸法の性を了達するがごとし。

◗116:12 また仏、法華経を説きたまひし時、眉間の光を放ちて東方万八千土を照らすにみな金色のごとく、阿鼻獄より上は有頂に至るまで、もろもろの世界のなかの六道の衆生の生死の趣くところ、善悪の業縁、受報の好醜、ここにことごとく見るがごとし。けだしこの類なり。

◗117: 1 この影、仏事をなす。いづくんぞ思議すべきや。

◗117: 2 【70】荘厳虚空功徳成就とは、偈に無量宝交絡 羅網遍虚空 種種鈴発響 宣吐妙法音といへるがゆゑなり。

◗117: 4  これいかんが不思議なる。経にのたまはく、無量の宝網、仏土に弥覆し、みな金縷、真珠、百千の雑宝の奇妙珍異なるをもつて荘厳し校飾して、四面に周帀せり。垂るるに宝鈴をもつてす。光色晃耀してことごとくきはめて厳麗なり。

◗117: 7 自然の徳風やうやく起りて微動す。その風、調和にして寒からず暑からず。温涼柔軟にして遅からず疾からず。もろもろの羅網およびもろもろの宝樹を吹きて、無量の微妙の法音を演発し、万種の温雅の徳香を流布す。それ聞ぐことあるものは、塵労の垢習自然に起らず。風その身に触るるにみな快楽を得と。

◗117:11 この声、仏事をなす。いづくんぞ思議すべきや。

◗117:12 【71】荘厳雨功徳成就とは、偈に雨華衣荘厳 無量香普薫といへるがゆゑなり。

◗117:14  これいかんが不思議なる。経にのたまはく、風吹きて華を散らしてあまねく仏土に満つ。色の次第に随ひて雑乱せず。柔軟光沢にして馨香芬烈なり。足その上を履むに蹈み下ること四寸、足を挙げをはるに随ひて、還復すること故のごとし。華用ゐること已訖りぬれば、地はすなはち開裂して、次いでをもつて化没し、清浄にして遺りなし。その時節に随ひて、風吹きて華を散ずること、かくのごとく六反す。

◗118: 4 また衆宝の蓮華、世界に周遍せり。一々の宝華に百千億の葉あり。その葉の光明、無量種の色なり。青き色には青き光、白き色には白き光、玄・黄・朱・紫の光色もまたしかなり。煒燁煥爛として日月よりも明曜なり。

◗118: 7 一々の華のなかより三十六百千億の光を出す。一々の光のなかより三十六百千億の仏を出す。身の色は紫金にして相好は殊特なり。一々の諸仏また百千の光明を放ちて、あまねく十方のために微妙の法を説く。かくのごとき諸仏、おのおの無量の衆生を仏の正道に安立せしめたまふと。

◗118:11 華、仏事をなす。いづくんぞ思議すべきや。

◗118:12 【72】荘厳光明功徳成就とは、偈に仏慧明浄日 除世痴闇冥といへるがゆゑなり。

◗118:14  これいかんが不思議なる。かの土の光明は、如来の智慧の報より起れり。これに触るれば、無明の黒闇つひにかならず消除す。光明は慧にあらずしてよく慧の用をなす。いづくんぞ思議すべきや。

◗119: 2 【73】荘厳妙声功徳成就とは、偈に梵声悟深遠 微妙聞十方といへるがゆゑなり。

◗119: 4  これいかんが不思議なる。経にのたまはく、もし人、ただかの国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生ぜんと願ずれば、また往生を得て、すなはち正定聚に入ると。

◗119: 6 これはこれ国土の名字、仏事をなす。いづくんぞ思議すべきや。

◗119: 8 【74】荘厳主功徳成就とは、偈に正覚阿弥陀 法王善住持といへるがゆゑなり。

◗119:10  これいかんが不思議なる。正覚の阿弥陀不思議にまします。かの安楽浄土は、正覚の阿弥陀の善力のために住持せられたり。いかんが思議することを得べきや。

◗119:12 住は不異不滅に名づく。持は不散不失に名づく。不朽薬をもつて種子に塗りて、水に在くに瀾れず。火に在くに燋れず。因縁を得てすなはち生ずるがごとし。なにをもつてのゆゑに。不朽薬の力なるがゆゑなり。

◗119:14 もし人、一たび安楽浄土に生ずれば、後の時に、意に三界に生じて衆生を教化せんと願じて、浄土の命を捨てて、願に随ひて生ずることを得て、三界雑生の火のなかに生ずといへども、無上菩提の種子は畢竟じて朽ちず。なにをもつてのゆゑに。正覚の阿弥陀の善住持を経るをもつてのゆゑなり。

◗120: 4 【75】荘厳眷属功徳成就とは、偈に如来浄華衆 正覚華化生といへるがゆゑなり。

◗120: 6  これいかんが不思議なる。おほよそこれ雑生の世界には、もしは胎、もしは卵、もしは湿、もしは化、眷属そこばくなり。苦楽万品なり。雑業をもつてのゆゑなり。

◗120: 8 かの安楽国土はこれ阿弥陀如来正覚浄華の化生するところにあらざるはなし。同一に念仏して別の道なきがゆゑなり。遠く通ずるにそれ四海のうちみな兄弟たり。眷属無量なり。いづくんぞ思議すべきや。

◗120:11 【76】荘厳受用功徳成就とは、偈に愛楽仏法味 禅三昧為食といへるがゆゑなり。

◗120:13  これいかんが不思議なる。食せずして命を資く。けだし資くるところ以あるなり。あにこれ如来、本願を満てたまへるにあらずや。仏願に乗ずるをわが命となす。いづくんぞ思議すべきや。

◗121: 1 【77】荘厳無諸難功徳成就とは、偈に永離身心悩 受楽常無間といへるがゆゑなり。

◗121: 3  これいかんが不思議なる。経にのたまはく、身を苦器となし、心を悩端となすと。しかるにかしこに身あり心ありて、楽を受くること間なし。いづくんぞ思議すべきや。

◗121: 6 【78】荘厳大義門功徳成就とは、偈に大乗善根界 等無譏嫌名 女人及根欠 二乗種不生といへるがゆゑなり。

◗121: 7 浄土の果報は二種の譏過を離れたり、知るべし。一には体、二には名なり。

◗121: 8 体に三種あり。一には二乗人、二には女人、三には諸根不具人なり。この三の過なし。ゆゑに体の譏嫌を離ると名づく。

◗121:10 名にまた三種あり。ただ三の体なきのみにあらず、乃至二乗と女人と諸根不具の三種の名を聞かず。ゆゑに名の譏嫌を離ると名づく。

◗121:12 等とは平等一相のゆゑなり。

◗121:13  これいかんが不思議なる。それ諸天の器をともにすれども、飯に随福の色あり。足の指、地を按ずるにすなはち金礫の旨を詳らかにす。しかるに往生を願ずるもの、本はすなはち三三の品なれども、いまは一二の殊なりなし。また淄・澠の一味なるがごとし。いづくんぞ思議すべきや。

◗122: 2 【79】荘厳一切所求満足功徳成就とは、偈に衆生所願楽 一切能満足といへるがゆゑなり。

◗122: 4  これいかんが不思議なる。かの国の人天、もし他方世界の無量の仏刹に往きて諸仏・菩薩を供養せんと欲願せんに、所須の供養の具に及ぶまで、願に称はざるはなからん。またかしこの寿命を捨てて余国に向かひて、生じて修短自在ならんと欲せんに、願に随ひてみな得。いまだ自在の位に階はずして、自在の用に同じからん。いづくんぞ思議すべきや。

◗122: 9 【80】自利利他を示現すとは、

◗122:10 略してかの阿弥陀仏国土の十七種荘厳功徳成就を説く。如来の自身利益大功徳力成就と、利益他功徳成就とを示現せんがゆゑなり。

◗122:12  略といふは、かの浄土の功徳は無量にして、ただ十七種のみにあらざることを彰すなり。それ須弥の芥子に入り、毛孔の大海を納む。あに山海の神ならんや。毛芥の力ならんや。能神のひとの神なるのみ。このゆゑに十七種は利他といふといへども、自利の義炳然たり、知るべし。

◗123: 1 【81】入第一義諦とは、

◗123: 2 かの無量寿仏国土の荘厳は第一義諦妙境界相なり。十六句および一句次第して説けり、知るべし。

◗123: 4  第一義諦とは仏の因縁法なり。この諦はこれ境の義なり。このゆゑに荘厳等の十六句を称して妙境界相となす。この義、入一法句の文に至りてまさにさらに解釈すべし。

◗123: 6 および一句次第とは、いはく、器浄等を観ずるなり。総別の十七句は観行の次第なり。

◗123: 7 いかんが次を起す。建章に帰命無礙光如来願生安楽国といへり。このなかに疑あり。疑ひていはく、生は有の本、衆累の元たり。生を棄てて生を願ず、生なんぞ尽くべきと。

◗123:10 この疑を釈せんがために、このゆゑにかの浄土の荘厳功徳成就を観ず。かの浄土はこれ阿弥陀如来の清浄本願の無生の生なり。三有虚妄の生のごときにはあらざることを明かすなり。

◗123:12 なにをもつてこれをいふとならば、それ法性は清浄にして畢竟無生なり。生といふはこれ得生のひとの情なるのみ。生まことに無生なれば、生なんぞ尽くるところあらん。

◗124: 1 かの生を尽さば、上は無為能為の身を失し、下は三空不空の痼 廃なり。病なり に 酔なり ひなん。根敗永く亡じて、号び三千を振はす。無反無復ここにおいて恥を招く。かの生の理を体する、これを浄土といふ。浄土の宅はいはゆる十七句これなり。

◗124: 2 十七句のなかに、総別二となす。初めの句はこれ総相なり。いはゆるこれ清浄仏土は、三界の道に過ぎたり。かしこの、三界に過ぐるにいかなる相かある。下の十六種の荘厳功徳成就の相これなり。

◗124: 5 一には量、究竟して虚空のごとし。広大にして辺際なきがゆゑなり。

◗124: 6 すでに量を知りぬ。この量なにをもつてか本となす。このゆゑに性を観ず。性はこれ本の義なり。かの浄土は正道の大慈悲、出世の善根より生ぜり。

◗124: 8 すでに出世善根といへり。この善根はなんらの相をか生ぜる。このゆゑに次に荘厳形相を観ず。

◗124: 9 すでに形相を知りぬ。よろしく形相はなんらの体なるかを知るべし。このゆゑに次に種々の事を観ず。

◗124:10 すでに種々の事を知りぬ。よろしく種々の事の妙色を知るべし。このゆゑに次に妙色を観ず。

◗124:11 すでに妙色を知りぬ。この色いかなる触かある。このゆゑに次に触を観ず。

◗124:12 すでに身の触を知りぬ。眼触を知るべし。このゆゑに次に水・地・虚空の荘厳の三事を観ず。

◗124:14 すでに眼触を知りぬ。鼻触を知るべし。このゆゑに次に衣・華の香薫を観ず。

◗124:15 すでに眼・鼻等の触を知りぬ。すべからく染を離るることを知るべし。このゆゑに次に仏慧のあきらかに照らすを観ず。

◗125: 1 すでに慧光の浄力を知りぬ。よろしく声名の遠近を知るべし。このゆゑに次に梵声の遠く聞ゆることを観ず。

◗125: 3 すでに声名を知りぬ。よろしくたれをか増上となすといふことを知るべし。このゆゑに次に主を観ず。

◗125: 4 すでに主あるを知りぬ。たれをか主の眷属となす。このゆゑに次に眷属を観ず。

◗125: 5 すでに眷属を知りぬ。よろしくこの眷属はいかんが受用するといふことを知るべし。このゆゑに次に受用を観ず。

◗125: 6 すでに受用を知りぬ。よろしくこの受用の有難無難を知るべし。このゆゑに次に無諸難を観ず。

◗125: 8 すでに無諸難を知りぬ。なんの義をもつてのゆゑに諸難なき。このゆゑに次に大義門を観ず。

◗125: 9 すでに大義門を知りぬ。よろしく大義門の満不満を知るべし。このゆゑに次に所求満足を観ず。

◗125:10 また次に、この十七句はただ疑を釈するにあらず。この十七種の荘厳成就を観ずれば、よく真実の浄信を生じて、必定してかの安楽仏土に生ずることを得。

◗125:13 【82】問ひていはく、上に、生は無生なりと知るといふは、まさにこれ上品生のものなるべし。もし下下品の人の、十念に乗じて往生するは、あに実の生を取るにあらずや。ただ実の生を取らば、すなはち二執に堕しなん。一には、おそらくは往生を得ざらん。二には、おそらくはさらに生ずとも惑ひを生ぜん。

◗126: 2 答ふ。たとへば浄摩尼珠を、これを濁水に置けば、水すなはち清浄なるがごとし。もし人、無量生死の罪濁にありといへども、かの阿弥陀如来の至極無生清浄の宝珠の名号を聞きて、これを濁心に投ぐれば、念々のうちに罪滅して心浄まり、すなはち往生を得。

◗126: 5 またこれ摩尼珠を玄黄の幣をもつて裹みて、これを水に投ぐれば、水すなはち玄黄にしてもつぱら物の色のごとくなり。かの清浄仏土に阿弥陀如来無上の宝珠まします。無量の荘厳功徳成就の帛をもつて裹みて、これを往生するところのひとの心水に投ぐれば、あに生見を転じて無生の智となすことあたはざらんや。

◗126: 9 また氷の上に火を燃くに、火猛ければすなはち氷解く。氷解くればすなはち火滅するがごとし。かの下品の人、法性無生を知らずといへども、ただ仏名を称する力をもつて往生の意をなして、かの土に生ぜんと願ずるに、かの土はこれ無生の界なれば、見生の火、自然に滅するなり。

◗126:14 【83】衆生体とは、この分のなかに二重あり。一には観仏、二には観菩薩なり。

◗126:15 【84】観仏とは、

◗127: 1 いかんが仏の荘厳功徳成就を観ずる。仏の荘厳功徳成就を観ずとは、八種あり、知るべし。

◗127: 3  この観の義はすでに前の偈に彰せり。

◗127: 4 【85】なんらか八種。一には荘厳座功徳成就、二には荘厳身業功徳成就、三には荘厳口業功徳成就、四には荘厳心業功徳成就、五には荘厳衆功徳成就、六には荘厳上首功徳成就、七には荘厳主功徳成就、八には荘厳不虚作住持功徳成就なり。

◗127: 8 【86】なんとなれば荘厳座功徳成就とは、偈に無量大宝王 微妙浄華台といへるがゆゑなり。

◗127:10  もし座を観ぜんと欲せば、まさに観無量寿経によるべし。

◗127:11 【87】なんとなれば荘厳身業功徳成就とは、偈に相好光一尋 色像超群生といへるがゆゑなり。

◗127:13  もし仏身を観ぜんと欲せば、まさに観無量寿経によるべし。

◗127:14 なんとなれば荘厳口業功徳成就とは、偈に如来微妙声 梵響聞十方といへるがゆゑなり。

◗128: 1 なんとなれば荘厳心業功徳成就とは、偈に同地水火風 虚空無分別といへるがゆゑなり。無分別とは分別の心なきがゆゑなり。

◗128: 3  凡夫の衆生は身口意の三業に罪を造るをもつて、三界に輪転して窮まり已むことあることなからん。このゆゑに諸仏・菩薩は、身口意の三業を荘厳して、もつて衆生の虚誑の三業を治するなり。

◗128: 5 いかんがもつて治す。衆生は身見をもつてのゆゑに三塗の身・卑賎の身・醜陋の身・八難の身・流転の身を受く。かくのごとき等の衆生、阿弥陀如来の相好光明の身を見たてまつれば、上のごとき種々の身業の繋縛、みな解脱を得て、如来の家に入りて畢竟じて平等の身業を得。

◗128: 9 衆生は憍慢をもつてのゆゑに、正法を誹謗し、賢聖を毀呰し、尊長 尊は君・父・師なり。長は有徳の人および兄党なり を捐庳す。

◗128:10 かくのごとき人、抜舌の苦・瘖瘂の苦・言教不行の苦・無名聞の苦を受くべし。かくのごとき等の種種の諸苦の衆生、阿弥陀如来の至徳の名号、説法の音声を聞けば、上のごとき種々の口業の繋縛、みな解脱を得て、如来の家に入りて畢竟じて平等の口業を得。

◗128:14 衆生は邪見をもつてのゆゑに、心に分別を生ず。もしは有、もしは無、もしは非、もしは是、もしは好、もしは醜、もしは善、もしは悪、もしは彼、もしは此、かくのごとき等の種々の分別あり。分別をもつてのゆゑに長く三有に淪みて、種々の分別の苦・取捨の苦を受けて、長く大夜に寝ねて、出づる期あることなし。

◗129: 3 この衆生、もしは阿弥陀如来の平等の光照に遇ひ、もしは阿弥陀如来の平等の意業を聞けば、これらの衆生、上のごとき種々の意業の繋縛、みな解脱を得て、如来の家に入りて畢竟じて平等の意業を得るなり。

◗129: 6  問ひていはく、心はこれ覚知の相なり。いかんが地・水・火・風に同じく分別なきことを得べきや。

◗129: 7 答へていはく、心は知の相なりといへども、実相に入ればすなはち無知なり。

◗129: 8 たとへば蛇の性は曲れりといへども、竹の筒に入るればすなはち直きがごとし。また人の身の、もしは針の刺し、もしは蜂の螫すにはすなはち覚知あり。もしは石の蛭の噉み、もしは甘刀の割くにすなはち覚知なきがごとし。

◗129:11 かくのごとき等の有知・無知は因縁にあり。もし因縁にあればすなはち知にあらず、無知にあらず。

◗129:13  問ひていはく、心、実相に入れば無知ならしむべし。いかんが一切種智あることを得るや。

◗129:14 答へていはく、凡心は有知なれば、すなはち知らざるところあり。聖心は無知なるがゆゑに知らざるところなし。無知にして知る知なればすなはち無知なり。

◗130: 2  問ひていはく、すでに無知なるがゆゑに知らざるところなしといふ。もし知らざるところなければ、あにこれ種々の法を知るにあらずや。すでに種々の法を知れば、またいかんが分別するところなしといふや。

◗130: 4 答へていはく、諸法の種々の相はみな幻化のごとし。しかるに幻化の象・馬、長き頚・鼻・手・足の異なることなきにあらざれども、智者これを観て、あにさだめて象・馬、これを分別することありといはんや。

◗130: 8 【88】なんとなれば荘厳大衆功徳成就とは、偈に天人不動衆 清浄智海生といへるがゆゑなり。

◗130:10 なんとなれば荘厳上首功徳成就とは、偈に如須弥山王 勝妙無過者といへるがゆゑなり。

◗130:12 なんとなれば荘厳主功徳成就とは、偈に天人丈夫衆 恭敬繞瞻仰といへるがゆゑなり。

◗130:14 【89】なんとなれば荘厳不虚作住持功徳成就とは、偈に観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海といへるがゆゑなり。

◗131: 1  不虚作住持功徳成就とは、けだしこれ阿弥陀如来の本願力なり。

◗131: 1 いままさに略して虚作の相の住持することあたはざるを示して、もつてかの不虚作住持の義を顕すべし。人、餐を輟 止なり めて士を養ふに、あるいは、舟のなかに起り、金を積みて庫に盈てれども、餓死を免れざることあり。かくのごとき事、目に触るるにみなこれなり。得れども得るとなすにあらず、あれどもあるを守るにあらず。みな虚妄の業の作なるによりて住持することあたはず。

◗131: 7 いふところの不虚作住持とは、本法蔵菩薩の四十八願と、今日の阿弥陀如来の自在神力とによるなり。願もつて力を成ず、力もつて願に就く。願徒然ならず、力虚設ならず。力・願あひ符ひて畢竟じて差はざるがゆゑに成就といふ。

◗131:11 【90】すなはちかの仏を見たてまつれば、未証浄心の菩薩、畢竟じて平等法身を証することを得て、浄心の菩薩と上地のもろもろの菩薩と畢竟じて同じく寂滅平等を得るがゆゑなり。

◗131:14  平等法身とは、八地以上の法性生身の菩薩なり。寂滅平等とは、すなはちこの法身の菩薩の所証の寂滅平等の法なり。この寂滅平等の法を得るをもつてのゆゑに名づけて平等法身となす。平等法身の菩薩の所得なるをもつてのゆゑに名づけて寂滅平等の法となすなり。

◗132: 2 この菩薩、報生三昧を得て、三昧の神力をもつて、よく一処にして一念一時に十方世界に遍して、種々に一切諸仏および諸仏の大会衆海を供養し、よく無量世界の仏法僧なき処において、種々に示現し、種々に一切衆生を教化し度脱して、つねに仏事をなせども、初めより往来の想、供養の想、度脱の想なし。

◗132: 6 このゆゑに、この身を名づけて平等法身となし、この法を名づけて寂滅平等の法となすなり。

◗132: 7 未証浄心の菩薩とは、初地以上七地以還のもろもろの菩薩なり。この菩薩またよく身を現じて、もしは百、もしは千、もしは万、もしは億、もしは百千万億の無仏の国土に仏事を施作すれども、かならず作心を須ゐて三昧に入る。すなはちよく作心せざるにはあらず。作心をもつてのゆゑに名づけて未得浄心となす。

◗132:11 この菩薩、願じて安楽浄土に生ずれば、すなはち阿弥陀仏を見たてまつる。阿弥陀仏を見たてまつる時、上地のもろもろの菩薩と畢竟じて身等しく法等し。

◗132:13 龍樹菩薩、婆藪槃頭菩薩の輩、かしこに生ぜんと願ずるは、まさにこれがためなるべきのみ。

◗133: 1  問ひていはく、十地経を案ずるに、菩薩の進趣階級、やうやく無量の功勲ありて多くの劫数を経、しかして後にすなはちこれを得。いかんが阿弥陀仏を見たてまつる時、畢竟じて上地のもろもろの菩薩と身等しく法等しきや。

◗133: 3 答へていはく、畢竟とはいまだ即等といふにはあらず。畢竟じてこの等しきことを失はざるがゆゑに等といふのみ。

◗133: 6  問ひていはく、もし即等にあらずは、またなんぞ菩薩といふことを待たん。ただ初地に登れば、もつてやうやく増進して、自然にまさに仏と等しかるべし。なんぞ上地の菩薩と等しといふことを仮らん。

◗133: 8 答へていはく、菩薩、七地のうちにおいて大寂滅を得れば、上に諸仏の求むべきを見ず、下に衆生の度すべきを見ず。仏道を捨てて実際を証せんと欲す。その時に、もし十方諸仏の神力の加勧を得ずは、すなはち滅度して二乗と異なることなからん。菩薩もし安楽に往生して阿弥陀仏を見たてまつれば、すなはちこの難なし。このゆゑにすべからく畢竟じて平等なりといふべし。

◗133:13 また次に無量寿経のなかに、阿弥陀如来の本願にのたまはく、たとひわれ仏を得んに、他方仏土のもろもろの菩薩衆、わが国に来生せば、究竟してかならず一生補処に至らん。その本願の自在に化せんとするところありて、衆生のためのゆゑに、弘誓の鎧を被て徳本を積累し、一切を度脱し、諸仏の国に遊びて菩薩の行を修し、十方の諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して、無上正真の道に立せしめんをば除く。常倫諸地の行を超出し、現前に普賢の徳を修習せん。もししからずは、正覚を取らじと。

◗134: 5 この経を案じてかの国の菩薩を推するに、あるいは一地より一地に至らざるべし。

◗134: 6 十地の階次といふは、これ釈迦如来の、閻浮提における一の応化道なるのみ。他方の浄土はなんぞかならずしもかくのごとくならん。五種の不思議のなかに仏法もつとも不可思議なり。

◗134: 8 もし菩薩かならず一地より一地に至りて超越の理なしといはば、いまだあへて詳らかならず。

◗134:10 たとへば樹あり、名づけて好堅といふ。この樹、地に生ずるに百囲すなはち具せり。一日に長ずること高さ百丈なるがごとし。日々にかくのごとし。百歳の高さを計るに、あに修松に類せんや。松の生長するを見るに、日に寸を過ぎず。かの好堅を聞きて、なんぞよく即日を疑はざらん。

◗134:13 人ありて、釈迦如来の羅漢を一聴に証し、無生を終朝に制するを聞きて、これ接誘の言なり、称実の説にあらずといひて、この論事を聞きてまたまさに信ぜざるべし。それ非常の言は常人の耳に入らず。これをしからずと謂ふは、またそれ宜なり。

◗135: 2 【91】略して八句を説きて、如来の自利利他の功徳荘厳、次第に成就したまへることを示現す、知るべし。

◗135: 4  これはいかんが次第する。前の十七句は、これ荘厳国土功徳成就なり。すでに国土の相を知りぬ。国土の主を知るべし。このゆゑに次に仏の荘厳功徳を観ず。

◗135: 6 かの仏いかんが荘厳し、いづれの処においてか坐したまふ。このゆゑに先づ座を観ず。

◗135: 7 すでに座を知りをはりぬ。よろしく座の主を知るべし。このゆゑに次に仏の荘厳身業を観ず。

◗135: 8 すでに身業を知りぬ。いかなる声名かましますと知るべき。このゆゑに次に仏の荘厳口業を観ず。

◗135: 9 すでに名聞を知りぬ。よろしく得名の所以を知るべし。このゆゑに次に荘厳心業を観ず。

◗135:10 すでに三業具足して人天の大師たるべきことを知りぬ。化を受くるに堪へたるひとはこれたれぞ。このゆゑに次に大衆の功徳を観ず。

◗135:12 すでに大衆に無量の功徳あることを知りぬ。よろしく上首はたれぞと知るべし。このゆゑに次に上首を観ず。上首はこれ仏なり。

◗135:14 すでに上首を知りぬ。長幼に同ずることを恐る。このゆゑに次に主を観ず。

◗135:15 すでにこの主を知りぬ。主にいかなる増上かまします。このゆゑに次に荘厳不虚作住持を観ず。八句の次第成じをはりぬ。

◗136: 2 【92】菩薩を観ずとは、

◗136: 3 いかんが菩薩の荘厳功徳成就を観察する。菩薩の荘厳功徳成就を観察すとは、かの菩薩を観ずるに四種の正修行功徳成就あり、知るべし。

◗136: 5  真如はこれ諸法の正体なり。如を体して行ずれば、すなはちこれ不行なり。不行にして行ずるを如実修行と名づく。体はただ一如なれども、義をもつて分ちて四となす。このゆゑに四の行、一の正をもつてこれを統ぶ。

◗136: 8 【93】何者をか四となす。一には一仏土において身動揺せずして十方に遍して、種々に応化して如実に修行し、つねに仏事をなす。偈に安楽国清浄 常転無垢輪 化仏菩薩日 如須弥住持といへるがゆゑなり。もろもろの衆生の淤泥華を開くがゆゑなり。

◗136:12  八地以上の菩薩はつねに三昧にありて、三昧力をもつて、身は本処を動ぜずして、よくあまねく十方に至りて諸仏を供養し、衆生を教化す。

◗136:13 無垢輪とは仏地の功徳なり。仏地の功徳は、習気煩悩の垢なければなり。仏、もろもろの菩薩のために、つねにこの法輪を転ず。諸大菩薩もまたよくこの法輪をもつて一切を開導すること、暫時も休息することなし。ゆゑに常転といふ。

◗137: 2 法身は日のごとくして、応化身の光もろもろの世界に遍するなり。日といふにはいまだもつて不動を明かすに足らざれば、また如須弥住持といへるなり。

◗137: 4 淤泥華といふは、経に、高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥にすなはち蓮華を生ずとのたまへり。これは凡夫、煩悩の泥のなかにありて、菩薩のために開導せられて、よく仏の正覚の華を生ずるに喩ふ。まことにそれ三宝を紹隆してつねに絶えざらしむ。

◗137: 8 【94】二にはかの応化身、一切の時に前ならず後ならず、一心一念に大光明を放ちて、ことごとくよくあまねく十方世界に至りて衆生を教化す。種々に方便し修行し、なすところ一切衆生の苦を滅除するがゆゑなり。偈に無垢荘厳光 一念及一時 普照諸仏会 利益諸群生といへるがゆゑなり。

◗137:13  上に不動にして至るといふは、あるいは至ること前後あるべし。このゆゑにまた一念一時にして前後なしといへるなり。

◗137:15 【95】三にはかれ一切世界において余すことなく、諸仏の会の大衆を照らして余すことなく、広大無量に諸仏如来の功徳を供養し恭敬し讃嘆す。偈に雨天楽華衣 妙香等供養 讃諸仏功徳 無有分別心といへるがゆゑなり。

◗138: 4  余すことなくとは、あまねく一切世界の一切諸仏の大会に至りて、一世界にも一仏会にも至らざることあることなきを明かすなり。

◗138: 5 肇公のいはく、法身は像なくして殊形並び応じ、至韻は言なくして玄籍弥く布けり。冥権謀なくして、動じて事と会ふと。けだしこの意なり。

◗138: 8 【96】四にはかれ十方一切世界の三宝なき処において、仏法僧宝の功徳の大海を住持し荘厳して、あまねく示して如実の修行を解らしむ。偈に何等世界無 仏法功徳宝 我願皆往生 示仏法如仏といへるがゆゑなり。

◗138:12  上の三句は遍至といふといへども、みなこれ有仏の国土なり。もしこの句なくは、すなはちこれ法身、法ならざるところあらん。上善、善ならざるところあらん。観行の体相竟りぬ。

◗138:15 【97】以下はこれ解義のなかの第四重を名づけて浄入願心となす。

◗138:15 浄入願心とは、

◗139: 1 また向に荘厳仏土功徳成就と荘厳仏功徳成就と荘厳菩薩功徳成就とを観察することを説けり。この三種の成就は、願心をもつて荘厳せり、知るべし。

◗139: 5  知るべしとは、この三種の荘厳成就は、本四十八願等の清浄願心の荘厳したまへるところなるによりて、因浄なるがゆゑに果浄なり。無因と他因の有にはあらざるを知るべしとなり。

◗139: 8 【98】略して一法句に入ることを説くがゆゑなり。

◗139: 9  上の国土の荘厳十七句と、如来の荘厳八句と、菩薩の荘厳四句とを広となす。一法句に入るを略となす。

◗139:10 なんがゆゑぞ広略相入を示現するとなれば、諸仏・菩薩に二種の法身まします。一には法性法身、二には方便法身なり。法性法身によりて方便法身を生ず。方便法身によりて法性法身を出す。この二の法身は異にして分つべからず。一にして同ずべからず。このゆゑに広略相入して、統ぶるに法の名をもつてす。

◗139:14 菩薩もし広略相入を知らざれば、すなはち自利利他することあたはざればなり。

◗140: 1 【99】一法句といふはいはく、清浄句なり。清浄句といふはいはく、真実智慧無為法身なるがゆゑなり。

◗140: 3  この三句は展転して相入す。なんの義によりてか、これを名づけて法となす。清浄をもつてのゆゑなり。なんの義によりてか、名づけて清浄となす。真実智慧無為法身なるをもつてのゆゑなり。

◗140: 5 真実智慧とは、実相の智慧なり。実相は無相なるがゆゑに、真智は無知なり。

◗140: 6 無為法身とは法性身なり。法性は寂滅なるがゆゑに、法身は無相なり。

◗140: 7 無相のゆゑによく相ならざるはなし。このゆゑに相好荘厳はすなはち法身なり。

◗140: 8 無知のゆゑによく知らざるはなし。このゆゑに一切種智はすなはち真実の智慧なり。

◗140: 9 真実をもつて智慧に目くることは、智慧は作にあらず、非作にあらざることを明かすなり。

◗140:10 無為をもつて法身を標すことは、法身は色にあらず、非色にあらざることを明かすなり。

◗140:11 非を非するは、あに非を非するのよく是ならんや。けだし非を無みする、これを是といふ。みづから是にして待することなきも、また是にあらず。是にあらず、非にあらず、百非の喩へざるところなり。

◗140:14 このゆゑに清浄句といふ。清浄句とは、真実智慧無為法身をいふなり。

◗141: 1 【100】この清浄に二種あり、知るべし。

◗141: 2  上の転入句のなか、一法に通じて清浄に入り、清浄に通じて法身に入る。いままさに清浄を別ちて二種を出さんとするがゆゑに、ことさらに、知るべしといふ。

◗141: 5 【101】なんらか二種。一には器世間清浄、二には衆生世間清浄なり。

◗141: 5 器世間清浄とは、向に説くがごとき十七種の荘厳仏土功徳成就なり。これを器世間清浄と名づく。

◗141: 7 衆生世間清浄とは、向に説くがごとき八種の荘厳仏功徳成就と四種の荘厳菩薩功徳成就となり。これを衆生世間清浄と名づく。

◗141: 9 かくのごとく一法句に二種の清浄を摂す、知るべし。

◗141:11  それ衆生を別報の体となし、国土を共報の用となす。体・用一にあらず。ゆゑに知るべしといふ。しかるに諸法は心をもつて成ず。余の境界なし。衆生および器、また異なることを得ず、一なることを得ず。一ならざればすなはち義をもつて分つ。異ならざれば同じく清浄なり。

◗141:14 器とは用なり。いはく、かの浄土は、これかの清浄の衆生の受用するところなるがゆゑに名づけて器となす。浄食に不浄の器を用ゐれば、器不浄なるをもつてのゆゑに食また不浄なり。不浄の食に浄器を用ゐれば、食不浄なるがゆゑに器また不浄なるがごとし。かならず二ともに潔くしてすなはち浄と称することを得。ここをもつて一の清浄の名にかならず二種を摂するなり。

◗142: 5  問ひていはく、衆生清浄といふは、すなはちこれ仏と菩薩となり。かのもろもろの人天も、この清浄の数に入ることを得やいなや。

◗142: 7 答へていはく、清浄と名づくることを得れども、実の清浄にあらず。

◗142: 7 たとへば出家の聖人は、煩悩の賊を殺すをもつてのゆゑに名づけて比丘となし、凡夫の出家のものの、持戒・破戒もみな比丘と名づくるがごとし。

◗142: 9 また潅頂王子の初生の時に、三十二相を具してすなはち七宝の属するところとなる。いまだ転輪王の事をなすことあたはずといへども、また転輪王と名づくるがごとし。それかならず転輪王となるべきをもつてのゆゑなり。

◗142:12 かのもろもろの人天も、またかくのごとし。みな大乗正定の聚に入りて、畢竟じてまさに清浄法身を得べし。まさに得べきをもつてのゆゑに清浄と名づくることを得るなり。

◗142:15 【102】善巧摂化とは、

◗143: 1 かくのごとく菩薩は、奢摩他と毘婆舎那を広略に修行して柔軟心を成就す。

◗143: 3  柔軟心とは、いはく、広略の止観、あひ順じ修行して不二の心を成ずるなり。たとへば水をもつて影を取るに、清と静とあひ資けて成就するがごとし。

◗143: 5 【103】如実に広略の諸法を知る。

◗143: 6  如実に知るとは、実相のごとくに知るなり。広のなかの二十九句、略のなかの一句、実相にあらざるはなし。

◗143: 8 【104】かくのごとくして巧方便回向を成就す。

◗143: 9  かくのごとくとは、前後の広略みな実相なるがごとくとなり。実相を知るをもつてのゆゑに、すなはち三界の衆生の虚妄の相を知るなり。衆生の虚妄なるを知れば、すなはち真実の慈悲を生ずるなり。真実の法身を知れば、すなはち真実の帰依を起すなり。慈悲と帰依と、巧方便とは下にあり。

◗143:13 【105】何者か菩薩の巧方便回向。菩薩の巧方便回向とは、いはく、説ける礼拝等の五種の修行をもつて、集むるところの一切の功徳善根は、自身住持の楽を求めず、一切衆生の苦を抜かんと欲するがゆゑに、一切衆生を摂取して、ともに同じくかの安楽仏国に生ぜんと作願するなり。これを菩薩の巧方便回向成就と名づく。

◗144: 3  王舎城所説の無量寿経を案ずるに、三輩生のなかに、行に優劣ありといへども、みな無上菩提の心を発さざるはなし。この無上菩提心とは、すなはちこれ願作仏心なり。願作仏心とは、すなはちこれ度衆生心なり。度衆生心とは、すなはち衆生を摂取して有仏の国土に生ぜしむる心なり。このゆゑにかの安楽浄土に生ぜんと願ずるものは、かならず無上菩提心を発すなり。

◗144: 7 もし人、無上菩提心を発さずして、ただかの国土の楽を受くること間なきを聞きて、楽のためのゆゑに生ずることを願ずるは、またまさに往生を得ざるべし。このゆゑに、自身住持の楽を求めず、一切衆生の苦を抜かんと欲するがゆゑにといへり。

◗144:11 住持の楽とは、いはく、かの安楽浄土は阿弥陀如来の本願力のために住持せられて、楽を受くること間なし。

◗144:12 おほよそ回向の名義を釈せば、いはく、おのが集むるところの一切の功徳をもつて一切衆生に施与して、ともに仏道に向かふなり。

◗144:14 巧方便とは、いはく、菩薩願ずらく、おのが智慧の火をもつて一切衆生の煩悩の草木を焼かんに、もし一衆生として成仏せざることあらば、われ作仏せじと。しかるに、かの衆生いまだことごとく成仏せざるに、菩薩すでにみづから成仏す。

◗145: 2 たとへば火をして一切の草木を摘みて焼きて尽さしめんと欲するに、草木いまだ尽きざるに、火すでに尽くるがごとし。その身を後にして、しかも身先だつをもつてのゆゑに巧方便と名づく。

◗145: 5 このなかに方便といふは、いはく、一切衆生を摂取して、ともに同じくかの安楽仏国に生ぜんと作願す。かの仏国はすなはちこれ畢竟成仏の道路、無上の方便なり。

◗145: 8 【106】障菩提門とは、

◗145: 9 菩薩かくのごとくよく回向を知りて成就すれば、三種の菩提門相違の法を遠離す。

◗145:10 なんらか三種。一には智慧門によりて自楽を求めず。我心の自身に貪着することを遠離するがゆゑなり。

◗145:12  進むを知りて退くを守るを智といふ。空・無我を知るを慧といふ。智によるがゆゑに自楽を求めず。慧によるがゆゑに、我心の自身に貪着することを遠離す。

◗145:15 【107】二には慈悲門によりて一切衆生の苦を抜く。衆生を安んずることなき心を遠離するがゆゑなり。

◗146: 2  苦を抜くを慈といふ。楽を与ふるを悲といふ。慈によるがゆゑに一切衆生の苦を抜く。悲によるがゆゑに衆生を安んずることなき心を遠離す。

◗146: 4 【108】三には方便門によりて一切衆生を憐愍する心なり。自身を供養し恭敬する心を遠離するがゆゑなり。

◗146: 6  正直を方といふ。外己を便といふ。正直によるがゆゑに一切衆生を憐愍する心を生ず。外己によるがゆゑに自身を供養し恭敬する心を遠離す。

◗146: 8 これを三種の菩提門相違の法を遠離すと名づく。

◗146: 9 【109】順菩提門とは、

◗146:10 菩薩はかくのごとき三種の菩提門相違の法を遠離して、三種の菩提門に随順する法の満足を得るがゆゑなり。なんらか三種。

◗146:11 一には無染清浄心なり。自身のために諸楽を求めざるをもつてのゆゑなり。

◗146:13  菩提はこれ無染清浄の処なり。もし身のために楽を求むれば、すなはち菩提に違せり。このゆゑに無染清浄心は、これ菩提門に順ずるなり。

◗146:15 【110】二には安清浄心なり。一切衆生の苦を抜くをもつてのゆゑなり。

◗147: 1  菩提はこれ一切衆生を安穏にする清浄処なり。もし心をなして、一切衆生を抜きて生死の苦を離れしめざれば、すなはち菩提に違せり。このゆゑに一切衆生の苦を抜くは、これ菩提門に順ずるなり。

◗147: 4 【111】三には楽清浄心なり。一切衆生をして大菩提を得しむるをもつてのゆゑなり。衆生を摂取してかの国土に生ぜしむるをもつてのゆゑなり。

◗147: 6  菩提はこれ畢竟常楽の処なり。もし一切衆生をして畢竟常楽を得しめざれば、すなはち菩提に違せり。この畢竟常楽はなにによりてか得る。大乗門による。大乗門といふは、いはく、かの安楽仏国土これなり。このゆゑにまた衆生を摂取してかの国土に生ぜしむるをもつてのゆゑなりといへり。

◗147:10 これを三種の菩提門に随順する法の満足と名づく、知るべし。

◗147:11 【112】名義摂対とは、

◗147:12 向に説く智慧と慈悲と方便との三種の門は、般若を摂取し、般若は方便を摂取す、知るべし。

◗147:14  般若といふは、如に達する慧の名なり。方便といふは、権に通ずる智の称なり。如に達すればすなはち心行寂滅なり。権に通ずればすなはちつぶさに衆機を省みる。機を省みる智、つぶさに応じてしかも無知なり。寂滅の慧、また無知にしてつぶさに省みる。

◗148: 2 しかればすなはち智慧と方便とあひ縁じて動じ、あひ縁じて静なり。動の静を失せざることは智慧の功なり。静の動を廃せざることは方便の力なり。このゆゑに智慧と慈悲と方便とは般若を摂取し、般若は方便を摂取す。

◗148: 5 知るべしといふは、いはく、智慧と方便とはこれ菩薩の父母なり。もし智慧と方便とによらずは、菩薩の法、すなはち成就せずと知るべしとなり。なにをもつてのゆゑに。もし智慧なくして衆生のためにする時は、すなはち顛倒に堕す。もし方便なくして法性を観ずる時は、すなはち実際を証す。このゆゑに知るべしといふ。

◗148:10 【113】向に我心を遠離して自身に貪着せざると、衆生を安んずることなき心を遠離すると、自身を供養し恭敬する心を遠離するとを説けり。この三種の法は菩提を障ふる心を遠離す、知るべし。

◗148:13  諸法におのおの障礙の相あり。風はよく静を障へ、土はよく水を障へ、湿はよく火を障ふるがごとし。五悪・十悪は人天を障ふ。四顛倒は声聞の果を障ふ。このなかの三種の不遠離は、菩提を障ふる心なり。

◗148:15 知るべしといふは、もし障ふることなきことを得んと欲せば、まさにこの三種の障礙を遠離すべしとなり。

◗149: 3 【114】向に無染清浄心、安清浄心、楽清浄心を説けり。この三種の心は、一処に略して妙楽勝真心を成就す、知るべし。

◗149: 5  楽に三種あり。一には外楽、いはく五識所生の楽なり。二には内楽、いはく初禅・二禅・三禅の意識所生の楽なり。三には法楽楽、いはく智慧所生の楽なり。

◗149: 7 この智慧所生の楽は、仏の功徳を愛するより起れり。これ我心を遠離すると、無安衆生心を遠離すると、自供養心を遠離するとなり。この三種の心、清浄にして増進するを、略して妙楽勝真心となす。

◗149: 9 妙の言は、それ好なり。この楽は仏を縁じて生ずるをもつてのゆゑなり。勝の言は、三界のなかの楽に勝出せり。真の言は、虚偽ならず顛倒せず。

◗149:12 【115】願事成就とは、

◗149:13 かくのごとく菩薩は智慧心・方便心・無障心・勝真心をもつて、よく清浄の仏国土に生ず、知るべし。

◗149:15  知るべしといふは、いはく、この四種の清浄功徳をもつて、よくかの清浄仏国土に生ずることを得。これ他縁をもつて生ずるにはあらずと知るべしとなり。

◗150: 3 【116】これを菩薩摩訶薩、五種の法門に随順し、所作意に随ひて自在に成就すと名づく。向の所説のごとき身業・口業・意業・智業・方便智業は、法門に随順するがゆゑなり。

◗150: 6  意に随ひて自在にとは、この五種の功徳力をもつて、よく清浄仏土に生ずれば出没自在なるをいふなり。身業とは礼拝なり。口業とは讃嘆なり。意業とは作願なり。智業とは観察なり。方便智業とは回向なり。この五種の業和合すれば、すなはちこれ往生浄土の法門に随順して自在の業成就するをいふなり。

◗150:11 【117】利行満足とは、

◗150:12 また五種の門ありて、漸次に五種の功徳を成就す、知るべし。

◗150:12 何者か五門。一には近門、二には大会衆門、三には宅門、四には屋門、五には園林遊戯地門なり。

◗150:15  この五種は、入出の次第の相を示現す。

◗150:15 入相のなかに、初めに浄土に至るは、これ近の相なり。いはく、大乗正定聚に入りて、阿耨多羅三藐三菩提に近づくなり。浄土に入りをはれば、すなはち如来の大会衆の数に入るなり。衆の数に入りをはれば、まさに修行安心の宅に至るべし。宅に入りをはれば、まさに修行所居の屋宇に至るべし。修行成就しをはれば、まさに教化地に至るべし。教化地はすなはちこれ菩薩の自娯楽の地なり。

◗151: 5 このゆゑに出門を園林遊戯地門と称す。

◗151: 7 【118】この五種の門は、初めの四種の門は入の功徳を成就し、第五門は出の功徳を成就す。

◗151: 9  この入出の功徳は、何者かこれや。釈していはく、

◗151:10 入第一門とは、阿弥陀仏を礼拝し、かの国に生ぜんとなすをもつてのゆゑに、安楽世界に生ずることを得。これを入第一門と名づく。

◗151:12  仏を礼して仏国に生ぜんと願ず。これ初めの功徳の相なり。

◗151:13 【119】入第二門とは、阿弥陀仏を讃嘆し、名義に随順して如来の名を称し、如来の光明智相によりて修行するをもつてのゆゑに、大会衆の数に入ることを得。これを入第二門と名づく。

◗152: 1  如来の名義によりて讃嘆す。これ第二の功徳相なり。

◗152: 2 【120】入第三門とは、一心専念にかの国に生ぜんと作願し、奢摩他寂静三昧の行を修するをもつてのゆゑに、蓮華蔵世界に入ることを得。これを入第三門と名づく。

◗152: 5  寂静止を修せんがためのゆゑに、一心にかの国に生ぜんと願ず。これ第三の功徳相なり。

◗152: 7 【121】入第四門とは、専念にかの妙荘厳を観察し、毘婆舎那を修するをもつてのゆゑに、かの処に到りて種々の法味楽を受用することを得。これを入第四門と名づく。

◗152:10  種々の法味楽とは、毘婆舎那のなかに、観仏国土清浄味・摂受衆生大乗味・畢竟住持不虚作味・類事起行願取仏土味あり。かくのごとき等の無量の荘厳仏道の味あるがゆゑに種々といふ。これ第四の門の功徳相なり。

◗152:13 【122】出第五門とは、大慈悲をもつて一切苦悩の衆生を観察して、応化身を示して、生死の園、煩悩の林のなかに回入して遊戯し、神通もつて教化地に至る。本願力の回向をもつてのゆゑなり。これを出第五門と名づく。

◗153: 2  応化身を示してとは、法華経の普門示現の類のごとし。

◗153: 2 遊戯に二の義あり。一には自在の義なり。菩薩、衆生を度することは、たとへば獅子の鹿を搏つがごとく、なすところ難からざること遊戯するがごとし。二には度無所度の義なり。菩薩、衆生を観ずるに畢竟じて所有なし。無量の衆生を度すといへども、実に一衆生として滅度を得るものなし。衆生を度するを示すこと遊戯するがごとし。

◗153: 7 本願力といふは、大菩薩、法身のなかにおいて、つねに三昧にましまして、種々の身、種々の神通、種々の説法を現ずることを示す。みな本願力をもつて起せり。たとへば阿修羅の琴の鼓するものなしといへども、音曲自然なるがごとし。これを教化地の第五の功徳相と名づく。

◗153:11 【123】菩薩は入の四種の門をもつて自利の行成就す、知るべし。

◗153:12  成就とは、いはく、自利満足なり。知るべしといふは、いはく、自利によるがゆゑにすなはちよく利他す。これ自利することあたはずしてよく利他するにあらずと知るべしとなり。

◗153:15 【124】菩薩は出の第五門の回向をもつて利益他の行成就す、知るべし。

◗154: 1  成就とは、いはく、回向の因をもつて教化地の果を証す。もしは因、もしは果、一事として利他することあたはざることあることなし。知るべしといふは、いはく、利他によるがゆゑにすなはちよく自利す。これ利他することあたはずしてよく自利するにはあらずと知るべしとなり。

◗154: 5 【125】菩薩はかくのごとく五念門の行を修して自利利他す。速やかに阿耨多羅三藐三菩提を成就することを得るがゆゑなり。

◗154: 7  仏の所得の法を名づけて阿耨多羅三藐三菩提となす。この菩提を得るをもつてのゆゑに名づけて仏となす。いま速やかに阿耨多羅三藐三菩提を得といふは、これ早く作仏することを得るなり。

◗154: 9 阿は無に名づく、耨多羅は上に名づく、三藐は正に名づく、三は遍に名づく、菩提は道に名づく。統べてこれを訳して、名づけて無上正遍道となす。

◗154:11 無上とは、いふこころは、この道は、理を窮め性を尽してさらに過ぎたるひとなし。なにをもつてかこれをいふとなれば、正をもつてのゆゑなり。

◗154:13 正とは聖智なり。法相のごとくして知るがゆゑに称して正智となす。法性無相のゆゑに聖智は無知なり。

◗154:15 遍に二種あり。一には聖心あまねく一切の法を知ろしめす。二には法身あまねく法界に満つ。もしは身、もしは心、遍せざるはなし。

◗155: 1 道とは無礙道なり。経にのたまはく、十方の無礙人、一道より生死を出づと。一道とは一無礙道なり。無礙とは、いはく、生死すなはちこれ涅槃と知るなり。かくのごとき等の入不二の法門は、無礙の相なり。

◗155: 6 【126】問ひていはく、なんの因縁ありてか速やかに阿耨多羅三藐三菩提を成就することを得といへる。

◗155: 7 答へていはく、論に五門の行を修して、自利利他成就するをもつてのゆゑなりといへり。

◗155: 8 しかるに覈に其の本を求むるに、阿弥陀如来を増上縁となす。

◗155: 9 他利と利他と、談ずるに左右あり。もし仏よりしていはば、よろしく利他といふべし。衆生よりしていはば、よろしく他利といふべし。いままさに仏力を談ぜんとす。このゆゑに利他をもつてこれをいふ。まさにこの意を知るべし。

◗155:12 おほよそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の所起の諸行とは、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑなり。なにをもつてこれをいふとなれば、もし仏力にあらずは、四十八願すなはちこれ徒設ならん。

◗155:15 いま的らかに三願を取りて、もつて義の意を証せん。

◗156: 1 願にのたまはく、たとひわれ仏を得んに、十方の衆生、心を至して信楽してわが国に生ぜんと欲して、すなはち十念に至るまでせん。もし生ずることを得ずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とを除くと。

◗156: 3 仏願力によるがゆゑに十念の念仏をもつてすなはち往生を得。往生を得るがゆゑに、すなはち三界輪転の事を勉る。輪転なきがゆゑに、ゆゑに速やかなることを得る一の証なり。

◗156: 6 願にのたまはく、たとひわれ仏を得んに、国のうちの人天、正定聚に住してかならず滅度に至らずは、正覚を取らじと。

◗156: 7 仏願力によるがゆゑに正定聚に住す。正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至りて、もろもろの回伏の難なし。ゆゑに速やかなることを得る二の証なり。

◗156:10 願にのたまはく、たとひわれ仏を得んに、他方仏土のもろもろの菩薩衆、わが国に来生せば、究竟してかならず一生補処に至らん。その本願の自在に化するところありて、衆生のためのゆゑに、弘誓の鎧を被て徳本を積累し、一切を度脱し、諸仏の国に遊びて菩薩の行を修し、十方の諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して、無上正真の道を立せしめんをば除く。常倫諸地の行を超出し、現前に普賢の徳を修習せん。もししからずは、正覚を取らじと。

◗157: 1 仏願力によるがゆゑに、常倫諸地の行を超出し、現前に普賢の徳を修習せん。常倫諸地の行を超出するをもつてのゆゑに、ゆゑに速やかなることを得る三の証なり。

◗157: 3 これをもつて推するに、他力を増上縁となす。しからざることを得んや。

◗157: 5  まさにまた例を引きて、自力・他力の相を示すべし。

◗157: 5 人の三塗を畏るるがゆゑに禁戒を受持す。禁戒を受持するがゆゑによく禅定を修す。禅定をもつてのゆゑに神通を修習す。神通をもつてのゆゑによく四天下に遊ぶがごとし。かくのごとき等を名づけて自力となす。

◗157: 8 また劣夫の驢に跨りて上らざれども、転輪王の行に従ひぬれば、すなはち虚空に乗じて四天下に遊ぶに、障礙するところなきがごとし。かくのごとき等を名づけて他力となす。

◗157:10 愚かなるかな、後の学者、他力の乗ずべきことを聞きて、まさに信心を生ずべし。みづから局分することなかれ。

◗157:13 【127】無量寿修多羅優婆提舎願生偈、略して義を解しをはりぬ。

◗157:14  経の始めに如是と称するは、信を能入となすことを彰す。末に奉行といふは、服膺の事已ることを表す。論の初めに帰礼するは、宗旨に由あることを明かす。終りに義竟といふは、所詮の理畢ることを示す。述・作の人殊なれども、ここにおいて例を成ず。

◗158:15 無量寿経優婆提舎願生偈註 巻下