©937: 9 法然聖人臨終行儀

©937:10 建暦元年十一月十七日、藤中納言光親卿の奉にて、院宣によりて、十一月廿日戌時に聖人宮へかへり入たまひて、東山大谷といふところにすみ侍、同二年正月二日より、老病の上にひごろの不食、おほかたこの二三年のほどおいぼれて、よろづものわすれなどせられけるほどに、ことしよりは耳もきゝこゝろもあきらかにして、としごろならひおきたまひけるところの法文を、時時おもひいだして、弟子どもにむかひて談義したまひけり。

©937:15 またこの十余年は、耳おぼろにして、さゝやき事おばきゝたまはず侍けるも、ことしよりは昔のやうにきゝたまひて、例の人のごとし。世間の事はわすれたまひけれども、つねは往生の事をかたりて念仏をしたまふ。

©938: 3 またあるいは高声にとなふること一時、あるいはまた夜のほど、おのづからねぶりたまひけるも、舌・口はうごきて仏の御名をとなえたまふこと、小声聞侍けり。ある時は舌・口ばかりうごきてその声はきこえぬ事も、つねに侍けり。

©938: 6 されば口ばかりうごきたまひけることおば、よの人みなしりて、念仏を耳にきゝける人、ことごとくきどくのおもひをなし侍けり。

©938: 9 また同正月三日戌の時ばかりに、聖人看病の弟子どもにつげてのたまはく、われはもと天竺にありて声聞僧にまじわりて頭陀を行ぜしみの、この日本にきたりて天台宗に入て、またこの念仏の法門にあえりとのたまひけり。

©938:11 その時看病の人の中にひとりの僧ありて、とひたてまつりて申すやう、極楽へは往生したまふべしやと申ければ、答のたまはく、われはもと極楽にありしみなれば、さこそはあらむずらめとのたまひけり。

©938:15 又同正月十一日辰時ばかりに、聖人おきゐて合掌して、高声念仏したまひけるを、聞人みななみだをながして、これは臨終の時かとあやしみけるに、聖人看病の人につげてのたまはく、高声に念仏すべしと侍ければ、人々同音に高声念仏しけるに、そのあひだ聖人ひとり唱てのたまはく、阿弥陀仏を恭敬供養したてまつり、名号をとなえむもの、ひとりもむなしき事なしとのたまひて、さまざまに阿弥陀仏の功徳をほめたてまつりたまひけるを、

©939: 5 人々高声をとゞめてきゝ侍けるに、なほその中に一人たかくとなへければ、聖人いましめてのたまふやう、しばらく高声をとゞむべし、かやうのことは、時おりにしたがふべきなりとのたまひて、うるわしくゐて合掌して、阿弥陀仏のおはしますぞ、この仏を供養したてまつれ、たゞいまはおぼえず、供養の文やある、えさせよと、たびたびのたまひけり。

©939:10 またある時、弟子どもにかたりてのたまはく、観音・勢至菩薩、聖衆まへに現じたまふおば、なむだち、おがみたてまつるやとのたまふに、弟子等えみたてまつらすと申けり。またそのゝち臨終のれうにて、三尺の弥陀の像をすゑたてまつりて、弟子等申やう、この御仏をおがみまいらせたまふべしと申侍ければ、聖人のたまはく、この仏のほかにまた仏おはしますかとて、ゆびをもてむなしきところをさしたまひけり。

©939:15 按内をしらぬ人は、この事をこゝろえず侍。しかるあひだ、いさゝか由緒をしるし侍なり。

©940: 2 凡この十余年より、念仏の功つもりて極楽のありさまをみたてまつり、仏・菩薩の御すがたを、つねにみまいらせたまひけり。しかりといゑども、御意ばかりにしりて、人にかたりたまはず侍あひだ、いきたまへるほどは、よの人ゆめゆめしり侍ず。

©940: 5 おほかた真身の仏をみたてまつりたまひけること、つねにぞ侍ける。また御弟子ども、臨終のれうの仏の御手に五色のいとをかけて、このよしを申侍ければ、聖人これはおほやうのことのいはれぞ、かならずしもさるべからずとぞのたまひける。

©940: 9 又同廿日巳時に、大谷の房の上にあたりて、あやしき雲、西東へなおくたなびきて侍中に、ながさ五六丈ばかりして、その中にまろなるかたちありけり。そのいろ五色にして、まことにいろあざやかにして、光ありけり。たとへば、絵像の仏の円光のごとくに侍けり。みちをすぎゆく人々、あまたところにて、みあやしみておがみ侍けり。

©940:14 又同日午時ばかりに、ある御弟子申ていふやう、この上に紫雲たなびけり、聖人の往生の時ちかづかせたまひて侍かと申ければ、聖人のたまはく、あはれなる事かなと、たびたびのたまひて、これは一切衆生のためになどしめして、すなわち誦してのたまはく、光明遍照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨と、三返となへたまひけり。

©941: 3 またそのひつじの時ばかりに、聖人ことに眼をひらきて、しばらくそらをみあげて、すこしもめをまじろがず、西方へみおくりたまふこと五六度したまひけり。ものをみおくるにぞにたりける。人みなあやしみて、たゞ事にはあらず、これ証相の現じて、聖衆のきたりたまふかとあやしみけれども、よの人はなにともこゝろえず侍けり。

©941: 7 おほよそ聖人は、老病日かさなりて、ものをくはずしてひさしうなりたまひけるあひだ、いろかたちもおとろえて、よはくなりたまふがゆへに、めをほそめてひろくみたまはぬに、たゞいまやゝひさしくあおぎて、あながちにひらきみたまふことこそ、あやしきことなりといひてのちほどなく、かほのいろもにわかに変じて死相たちまちに現じたまふ時、御弟子ども、これは臨終かとうたがひて、おどろきさわぐほどに、れいのごとくなりたまひぬ。

©941:13 あやしくも、けふ紫雲の瑞相ありつる上に、かたがたかやうの事どもあるよと、御弟子たち申侍けり。

©941:15 又同廿三日にも紫雲たなびて侍よし、ほのかにきこえけるに、同廿五日むまの時に、また紫雲おほきにたなびきて、西の山の水の尾のみねにみえわたりけるを、樵夫ども十余人ばかりみたりけるが、その中に一人まいりて、このよしくわしく申ければ、かのまさしき臨終の午の時にぞあたりける。

©942: 3 またうづまさにまいりて下向しけるあまも、この紫雲おばおがみて、いそぎまいりてつげ申侍ける。

©942: 5 すべて聖人念仏のつとめおこたらずおはしける上に、正月廿三日より廿五日にいたるまで三箇日のあひだ、ことにつねよりもつよく高声の念仏を申たまひける事、或は一時、或は半時ばかりなどしたまひけるあひだ、人みなおどろきさわぎ侍。かやうにて、二三度になりけり。

©942: 9 またおなじき廿四日の酉時より、廿五日の巳時まで、聖人高声の念仏をひまなく申たまひければ、弟子ども番番にかわりて、一時に五六人ばかりこゑをたすけ申けり。すでに午時にいたりて、念仏したまひけるこゑ、すこしひきくなりにけり。さりながら、時時また高声の念仏まじわりてきこえ待けり。これをきゝて、房のにわのまへにあつまりきたりける結縁のともがら、かずをしらず。

©942:13 聖人ひごろつたへもちたまひたりける慈覚大師の九条の御袈裟をかけて、まくらをきたにし、おもてを西して、ふしながら仏号をとなへて、ねぶるがごとくして、正月廿五日午時のなからばかりに往生したまひけり。

©943: 1 そのゝち、よろづの人々きおいあつまりて、おがみ申ことかぎりなし。