◗536: 2 大胡の太郎実秀が妻室のもとへつかはす御返事 第十三

◗536: 3 御文こまかにうけ給はり候ぬ。まづはるかなる程に、念仏の事きこしめさんがために、わざと御つかひあげさせ給ひて候、念仏の御心ざしの程、近々あはれに候。

◗536: 5 さてたづねおほせられて候念仏の事は、往生極楽のためには、いづれの行なりといへども、念仏にすぎたる事は候はぬ也。そのゆへは、念仏はこれ弥陀の本願の行なるがゆへ也。

◗536: 7 本願といふは、阿弥陀ほとけ、いまだほとけになり給はざりしむかし、法蔵菩薩と申しゝいにしへ、ほとけの国土をきよめ、衆生を成就せんがために、世自在王如来と申しゝほとけの御まえにして、四十八の大願をおこし給ひしその中に、一切衆生の往生のために、一つの願をおこし給へる。これを念仏往生の本願と申す也。

◗536:11 すなはち无量寿経の上巻にいはく、設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚。已上

◗536:12 善導和尚この願を釈しての給はく、若我成仏、十方衆生、称我名号下至十声、若不生者不取正覚。彼仏今現在世成仏。当知、本誓重願不虚、衆生称念必得往生。已上

◗536:14 念仏といふは、仏の法身を憶念するにもあらず、仏の相好を観念するにおあらず、たゞ心をいたして、もはら阿弥陀ほとけの名号を称念する、これを念仏とは申也。かるがゆへに称我名号とはいふ也。

◗537: 2 念仏のほかの一切の行は、これ弥陀の本願にあらざるがゆへに、たとひめでたき行なりといへども、念仏にはおよばざる也。おほかたそのくにゝむまれんとおもはんものは、そのほとけのちかひにしたがふべき也。されば弥陀の浄土にむまれんとおもはん物は、弥陀の誓願にしたがふべき也。本願の念仏と、本願にあらざる余行と、さらにたくらぶべからず。かるがゆへに往生極楽のためには、念仏の行にすぎたる事は候はぬ也と申す也。

◗537: 7 往生にあらざる道には、余行又おのおのつかさどれるかたあり。しかるに衆生の生死をはなるゝみち、ほとけのおしへさまざまにおほく候へども、このごろの人の三界をいで生死をはなるゝみちは、たゞ極楽に往生し候ばかり也。このむね聖教のおほきなることわり也。

◗537:11 次に極楽に往生するに、その行さまざまにおほく候へども、われらが往生せん事、念仏にあらずはかなひがたく候也。そのゆへは、念仏はこれほとけの本願なるがゆへに、願力にすがりて往生する事はやすし。

◗537:13 されば詮ずるところは、極楽にあらずは生死をはなるべからず、念仏にあらずは極楽へむまるべからざる物也。ふかくこのむねを信ぜさせ給ひて、一すぢに極楽をねがひ、一すぢに念仏して、このたびかならず生死をはなれんとおぼしめすべき也。

◗538: 1 又一一の願のおはりに、若不生者不取正覚とちかひ給へり。しかるに阿弥陀ほとけ、仏になり給ひてよりこのかた、すでに十劫をへ給へり。まさにしるべし、誓願むなしからず、みなことごとく成就し給へる也。その中に念仏往生の願、ひとりむなしかるべからず。しかれば、衆生称念する物、一人もむなしからず、みなかならず往生する事をう。もししからずは、たれかほとけになり給へる事を信ずべきや。

◗538: 7 三宝滅尽の時なりといへども、一念すればなを往生す。五逆重罪の人なりといえども、十念すれば又往生す。いかにいはんや、三宝の世にむまれて五逆をつくらざるわれら、弥陀の名号をとなえんに、往生うたがふべからず。

◗538: 9 いまこの願にあへる事は、ま事にこれおぼろげの縁にあらず。よくよくよろこびおぼしめすべし。たとひ又あふといふとも、もし信ぜずはあはざるがごとし。いまふかくこの願を信ぜさせ給へり、往生うたがひおぼしめすべからず。かならずかならずふた心なくよくよく御念仏候ひて、このたび生死をはなれ極楽にむまれさせ給ふべし。

◗538:14 又観无量寿経にいはく、一一光明、遍照十方世界念仏衆生、摂取不捨。已上 これは弥陀の光明たゞ念仏の衆生をてらして、余の一切の行人をばてらさずといふ也。たゞし、余の行をしても極楽をねがはば、ほとけのひかりてらして摂取し給ふべし。なんぞたゞ念仏のものばかりをえらびて、てらし給ふや。

◗539: 2 善導和尚釈しての給はく、弥陀身色如金山、相好光明照十方、唯有念仏蒙光摂、当知本願最為強。已上

◗539: 4 念仏はこれ弥陀の本願の行なるがゆへに、成仏の光明返りて本地の誓願をてらし給ふ也。余行はこれ本願にあらざるがゆへに、弥陀の光明きらひててらし給はざる也。

◗539: 6 いま極楽をもとめん人、本願の念仏を行じて、摂取のひかりにて〔ら〕されんとおぼしめすべし。これにつけても念仏の大切に候、よくよく申させ給ふべし。

◗539: 8 又釈迦如来、この経の中に定散のもろもろの行をときおはりてのちに、まさしく阿難に付嘱し給時に、かみにとくところの定散の三福業、定善の十三観をば付嘱せずして、たゞ念仏の一行を付嘱し給へり。経にいはく、仏告阿難、汝好持是語。持是語者、即是持无量寿仏名。已上

◗539:11 善導和尚この文を釈しての給はく、従仏告阿難汝持是語已下、正明付嘱弥陀名号、流通於遐代。上来雖説定散両門之益、望仏本願、意在衆生一向専称弥陀仏名。已上

◗539:13 これは定散のもろもろの行は、弥陀の本願にあらず。かるがゆへに釈迦如来の、往生の行を付嘱し給ふに、余の定善・散善をば付嘱せずして、念仏はこれ弥陀の本願なるがゆへに、まさしくえらびて本願の行を付嘱し給へる也。

◗540: 1 いま釈迦のおしへにしたがひて往生をもとめん物、付嘱の念仏を修して、釈尊の御心にかなふべし。これにつきても又よくよく御念仏候て、ほとけの付嘱にかなはせ給ふべし。

◗540: 4 又六方恒沙の諸仏、舌をのべて、三千大千世界におほひて、もはらたゞ弥陀の名号をとなへて往生すといふは、これ真実なりと証誠し給ふ也。これ又念仏は弥陀の本願なるゆへに、六方恒沙の諸仏、これを証誠し給ふ也。余の行は本願にあらざるがゆへに、諸仏も証誠し給はざる也。これにつけても又よくよく御念仏せさせ給ひて、六方の諸仏の護念をかぶらせ給ふべし。

◗540: 8 弥陀の本願、釈尊の付嘱、六方の護念、一一にむなしからず。このゆへに、余仏の行は諸行にはすぐれたる也。

◗540:10 又善導和尚はこれ弥陀の化身也。浄土の祖師おほしといへども、たゞひとへに善導による。往生の行おほしといへどもおほきにわかちて二とし給へり。一には専修、いはゆる念仏也。二には雑修、いはゆる一切のもろもろの行也。上にいふところの定散等これ也。

◗540:13 往生礼讃に云く、若能如上念念相続、畢命為期者、十即十生、百即百生。何以故。无外雑縁得正念故、与仏本願相応故、不違教故、随順仏語故。若欲捨専修雑業者、百時希得一二、千時希得五三。何以故。由雑縁乱動失正念故、与仏本願不相応故、与教相違故、不順仏語故、係念不相応故、憶想間断故。 これは専修と雑行との得失なり。

◗541: 2 得といふは、往生する事をう。いはく念仏するものは、十人はすなはち十人ながら往生し、百人はすなはち百人ながら往生すといふ、これ也。失といふは、いはく往生の益をうしなへる也。雑修のものは、百人が中にまれに一、二人往生する事をえてその余はむまれず。千人が中にまれに五、三人むまれてその余は又むまれず。

◗541: 6 専修のものゝみみなむまるゝ事をうるは、なんのゆへぞ。阿弥陀ほとけの本願に相応せるがゆへ也、釈迦如来のおしへに随順せるがゆへ也。雑業のものゝむまるゝ事すくなきは、なんのゆへぞ。弥陀の本願にたがへるがゆへ也、釈迦のおしへにしたがはざるがゆへ也。念仏して浄土をもとむるものは、二尊の御心にふかくかなへり。雑を修して浄土をもとむるものは、二仏の御心にそむけり。

◗541:11 善導和尚、二行の得失を判ぜる事、これのみにあらず。観経の疏と申すふみの中に、おほくの得失をあげたり。しげきがゆへにいださず。これをもてしりぬべし。

◗541:13 およそこの念仏は、そしる物は地獄におちて五劫苦をうくる事きわまりなし、信ずる物は浄土にむまれて永劫楽をうくる事きわまりまし。なをなをいよいよ信心をふかくして、ふた心なく念仏せさせ給ふべし。

◗542: 1 くはしき事は、御文にはつくしがたく候。この御つかひ申候べし。

◗542: 3   正月廿八日  源空

◗542: 4 542: 4   わたくしにいはく、この御文は正治元年己未、御つかひは蓮上房尊覚なり。