◗643: 1  尊号真像銘文 本

◗643: 5 【1】大無量寿経言 設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法

◗643: 7  大無量寿経言といふは、如来の四十八願を説きたまへる経なり。

◗643: 7 設我得仏といふは、もしわれ仏を得たらんときといふ御ことばなり。

◗643: 8 十方衆生といふは、十方のよろづの衆生といふなり。

◗643: 9 至心信楽といふは、至心は真実と申すなり、真実と申すは如来の御ちかひの真実なるを至心と申すなり。煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし、濁悪邪見のゆゑなり。信楽といふは、如来の本願真実にましますを、ふたごころなくふかく信じて疑はざれば、信楽と申すなり。この至心信楽は、すなはち十方の衆生をしてわが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまへる御ちかひの至心信楽なり、凡夫自力のこころにはあらず。

◗643:15 欲生我国といふは、他力の至心信楽のこころをもつて、安楽浄土に生れんとおもへとなり。

◗644: 1 乃至十念と申すは、如来のちかひの名号をとなへんことをすすめたまふに、遍数の定まりなきほどをあらはし、時節を定めざることを衆生にしらせんとおぼしめして、乃至のみことを十念のみなにそへて誓ひたまへるなり。如来より御ちかひをたまはりぬるには、尋常の時節をとりて臨終の称念をまつべからず、ただ如来の至心信楽をふかくたのむべしとなり。この真実信心をえんとき、摂取不捨の心光に入りぬれば、正定聚の位に定まるとみえたり。

◗644: 7 若不生者不取正覚といふは、若不生者はもし生れずはといふみことなり。不取正覚は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころは、すなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは、仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。

◗644:11 この本願のやうは、唯信抄によくよくみえたり。唯信と申すは、すなはちこの真実信楽をひとすぢにとるこころを申すなり。

◗644:12 唯除五逆誹謗正法といふは、唯除といふはただ除くといふことばなり。五逆のつみびとをきらひ誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。

◗645: 1 【2】又言 其仏本願力 聞名欲往生 皆悉到彼国 自致不退転と。

◗645: 3  其仏本願力といふは、弥陀の本願力と申すなり。

◗645: 3 聞名欲往生といふは、聞といふは如来のちかひの御なを信ずと申すなり。欲往生といふは安楽浄刹に生れんとおもへとなり。

◗645: 5 皆悉到彼国といふは、御ちかひのみなを信じて生れんとおもふ人は、みなもれずかの浄土に到ると申す御ことなり。

◗645: 7 自致不退転といふは、自はおのづからといふ、おのづからといふは衆生のはからひにあらず、しからしめて不退の位にいたらしむとなり、自然といふことばなり。致といふは、いたるといふ、むねとすといふ、如来の本願のみなを信ずる人は、自然に不退の位にいたらしむるをむねとすべしとおもへとなり。不退といふは、仏にかならず成るべき身と定まる位なり。これすなはち正定聚の位にいたるをむねとすべしと説きたまへる御のりなり。

◗645:13 【3】又言 必得超絶去 往生安養国 横截五悪趣 悪趣自然閉 昇道無窮極 易往而無人 其国不逆違 自然之所牽 抄出

◗645:15  必得超絶去往生安養国といふは、必はかならずといふ、かならずといふは定まりぬといふこころなり、また自然といふこころなり。得はえたりといふ。超はこえてといふ。絶はたちすてはなるといふ。去はすつといふ、ゆくといふ、さるといふなり。娑婆世界をたちすてて、流転生死をこえはなれてゆきさるといふなり。安養浄土に往生をうべしとなり。安養といふは、弥陀をほめたてまつるみこととみえたり、すなはち安楽浄土なり。

◗646: 5 横截五悪趣悪趣自然閉といふは、横はよこさまといふ、よこさまといふは如来の願力を信ずるゆゑに行者のはからひにあらず、五悪趣を自然にたちすて四生をはなるるを横といふ、他力と申すなり。これを横超といふなり。横は竪に対することばなり、超は迂に対することばなり。竪はたたさま、迂はめぐるとなり。竪と迂とは自力聖道のこころなり、横超はすなはち他力真宗の本意なり。截といふはきるといふ、五悪趣のきづなをよこさまにきるなり。悪趣自然閉といふは、願力に帰命すれば五道生死をとづるゆゑに自然閉といふ。閉はとづといふなり。本願の業因にひかれて自然に生るるなり。

◗646:13 昇道無窮極といふは、昇はのぼるといふ、のぼるといふは無上涅槃にいたる、これを昇といふなり。道は大涅槃道なり。無窮極といふはきはまりなしとなり。

◗647: 1 易往而無人といふは、易往はゆきやすしとなり、本願力に乗ずれば本願の実報土に生るること疑なければ、ゆきやすきなり。無人といふはひとなしといふ、人なしといふは真実信心の人はありがたきゆゑに実報土に生るる人まれなりとなり。しかれば、源信和尚は、報土に生るる人はおほからず、化土に生るる人はすくなからずとのたまへり。

◗647: 6 其国不逆違自然之所牽といふは、其国はそのくにといふ、すなはち安養浄刹なり。不逆違はさかさまならずといふ、たがはずといふなり。逆はさかさまといふ、違はたがふといふなり。真実信をえたる人は、大願業力のゆゑに、自然に浄土の業因たがはずして、かの業力にひかるるゆゑにゆきやすく、無上大涅槃にのぼるにきはまりなしとのたまへるなり。しかれば、自然之所牽と申すなり。他力の至心信楽の業因の自然にひくなり、これを牽といふなり。自然といふは、行者のはからひにあらずとなり。

◗647:13 【4】大勢至菩薩御銘文

◗647:14  首楞厳経言 勢至獲念仏円通 大勢至法王子 与其同倫 五十二菩薩 即従座起 頂礼仏足 而白仏言 我憶往昔 恒河沙劫 有仏出世 名無量光 十二如来 相継一劫 其最後仏 名超日月光 彼仏教我 念仏三昧 乃至 若衆生心 憶仏 念仏 現前当来 必定見仏 去仏不遠 不仮方便 自得心開 如染香人 身有香気 此則名曰 香光荘厳 我本因地 以念仏心 入無生忍 今於此界 摂念仏人 帰於浄土 以上略出

◗648: 5  勢至獲念仏円通といふは、勢至菩薩、念仏を獲たまふと申すことなり。獲といふはうるといふことばなり。うるといふはすなはち因位のときさとりをうるといふ。念仏を勢至菩薩さとりうると申すなり。

◗648: 7 大勢至法王子与其同倫といふは、五十二菩薩と勢至とおなじきともと申す。法王子とその菩薩とおなじきともと申すを与其同倫といふなり。

◗648: 9 即従座起頂礼仏足而白仏言と申すは、すなはち座よりたち、仏の御足を礼して仏にまうしてまうさくとなり。

◗648:11 我憶往昔といふは、われむかし恒河沙劫の数のとしをおもふといふこころなり。

◗648:12 有仏出世名無量光と申すは、仏、世に出でさせたまひしと申す御ことばなり。世に出でさせたまひし仏は阿弥陀如来なりと申すなり。十二光仏、十二度世に出でさせたまふを十二如来相継一劫と申すなり。十二如来と申すは、すなはち阿弥陀如来の十二光の御名なり。相継一劫といふは、十二光仏の十二度世に出でさせたまふをあひつぐといふなり。

◗649: 1 其最後仏名超日月光と申すは、十二光仏の世に出でさせたまひしをはりの仏を超日月光仏と申すとなり。

◗649: 3 彼仏教我念仏三昧と申すは、かの最後の超日月光仏の念仏三昧を、勢至には教へたまふとなり。

◗649: 4 若衆生心憶仏念仏といふは、もし衆生、心に仏を憶し仏を念ずれば ˆとなりˇ。

◗649: 5 現前当来必定見仏去仏不遠不仮方便自得心開といふは、今生にも仏を見たてまつり、当来にもかならず仏を見たてまつるべしとなり。仏もとほざからず、方便をもからず、自然に心にさとりを得べしとなり。

◗649: 8 如染香人身有香気といふは、かうばしき気、身にある人のごとく、念仏のこころもてる人に、勢至のこころをかうばしき人にたとへまうすなり。このゆゑに此則名曰香光荘厳と申すなり。勢至菩薩の御こころのうちに念仏のこころをもてるを、染香人にたとへまうすなり。

◗649:12 かるがゆゑに勢至菩薩のたまはく、我本因地 以念仏心 入無生忍 今於此界 摂念仏人 帰於浄土といへり。我本因地といふは、われもと因地にしてといへり。以念仏心といふは、念仏の心をもつてといふ。入無生忍といふは、無生忍に入るとなり。今於此界といふは、いまこの娑婆界にしてといふなり。摂念仏人といふは、念仏の人を摂取してといふ。帰於浄土といふは、念仏の人摂め取りて浄土に帰せしむとのたまへるなりと。

◗650: 4 【5】龍樹菩薩御銘文

◗650: 5  十住毘婆沙論曰 人能念是仏 無量力功徳 即時入必定 是故我常念 若人願作仏 心念阿弥陀 応時為現身 是故我帰命

◗650: 7  人能念是仏無量力功徳といふは、ひとよくこの仏の無量の功徳を念ずべしとなり。

◗650: 8 即時入必定といふは、信ずればすなはちのとき必定に入るとなり。必定に入るといふは、まことに念ずればかならず正定聚の位に定まるとなり。

◗650:10 是故我常念といふは、われつねに念ずるなり。

◗650:10 若人願作仏といふは、もし人仏にならんと願ぜば。心念阿弥陀といふ、心に阿弥陀を念ずべしとなり。

◗650:12 念ずれば応時為現身とのたまへり。応時といふはときにかなふといふなり、為現身と申すは、信者のために如来のあらはれたまふなり。

◗650:14 是故我帰命といふは、龍樹菩薩のつねに阿弥陀如来を帰命したてまつるとなり。

◗651: 1 【6】婆藪般豆菩薩論曰 世尊我一心 帰命尽十方 無礙光如来 願生安楽国 我依修多羅 真実功徳相 説願偈総持 与仏教相応 観彼世界相 勝過三界道 究竟如虚空 広大無辺際と。

◗651: 4  又曰 観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海。

◗651: 5  婆藪般豆菩薩論曰といふは、婆藪般豆は天竺のことばなり、晨旦には天親菩薩と申す。またいまはいはく、世親菩薩と申す。旧訳には天親、新訳には世親菩薩と申す。論曰は、世親菩薩、弥陀の本願を釈しあらはしたまへる御ことを論といふなり、曰はこころをあらはすことばなり。この論をば浄土論といふ、また往生論といふなり。

◗651: 9 世尊我一心といふは、世尊は釈迦如来なり。我と申すは世親菩薩のわが身とのたまへるなり。一心といふは、教主世尊の御ことのりをふたごころなく疑なしとなり、すなはちこれまことの信心なり。

◗651:12 帰命尽十方無礙光如来と申すは、帰命は南無なり、また帰命と申すは如来の勅命にしたがふこころなり。尽十方無礙光如来と申すはすなはち阿弥陀如来なり、この如来は光明なり。尽十方といふは、尽はつくすといふ、ことごとくといふ、十方世界を尽してことごとくみちたまへるなり。無礙といふは、さはることなしとなり。はることなしと申すは、衆生の煩悩悪業にさへられざるなり。光如来と申すは阿弥陀仏なり。この如来はすなはち不可思議光仏と申す。この如来は智慧のかたちなり、十方微塵刹土にみちたまへるなりとしるべしとなり。

◗652: 5 願生安楽国といふは、世親菩薩、かの無礙光仏を称念し信じて安楽国に生れんと願ひたまへるなり。

◗652: 6 我依修多羅真実功徳相といふは、我は天親論主のわれとなのりたまへる御ことばなり。依はよるといふ、修多羅によるとなり。修多羅は天竺のことば、仏の経典を申すなり。仏教に大乗あり、また小乗あり。みな修多羅と申す。いま修多羅と申すは大乗なり、小乗にはあらず。いまの三部の経典は大乗修多羅なり、この三部大乗によるとなり。真実功徳相といふは、真実功徳は誓願の尊号なり、相はかたちといふことばなり。

◗652:12 説願偈総持といふは、本願のこころをあらはすことばを偈といふなり、総持といふは智慧なり、無礙光の智慧を総持と申すなり。

◗652:14 与仏教相応といふは、この浄土論のこころは、釈尊の教勅、弥陀の誓願にあひかなへりとなり。

◗652:15 観彼世界相勝過三界道といふは、かの安楽世界をみそなはすに、ほとりきはなきこと虚空のごとし、ひろくおほきなること虚空のごとしとたとへたるなり。

◗653: 2 観仏本願力遇無空過者といふは、如来の本願力をみそなはすに、願力を信ずるひとは、むなしくここにとどまらずとなり。

◗653: 4 能令速満足功徳大宝海といふは、能はよしといふ、令はせしむといふ、速はすみやかに疾しといふ。よく本願力を信楽する人は、すみやかに疾く功徳の大宝海を信ずる人のその身に満足せしむるなり。如来の功徳のきはなくひろくおほきにへだてなきことを、大海の水のへだてなくみちみてるがごとしとたとへたてまつるなり。

◗653: 9 【7】斉朝曇鸞和尚真像銘文

◗653:10  釈曇鸞法師者 并州汶水県人也 魏末高斉之初 猶在 神智高遠 三国知聞 洞暁衆経 独出人外 梁国天子蕭王 恒向北 礼鸞菩薩 註解往生論 裁成両巻 事出釈迦才三巻浄土論也

◗653:14  釈の曇鸞法師は并州の汶水県の人なり。并州はくにの名なり、汶水県はところの名なり。

◗653:15 魏末高斉之初猶在といふは、魏末といふは晨旦の世の名なり。末はすゑといふなり、魏の世のすゑとなり。高斉之初は斉といふ世のはじめといふなり。猶在は魏と斉との世になほいましきといふなり。

◗654: 3 神智高遠といふは、和尚の智慧すぐれていましけりとなり。

◗654: 4 三国知聞といふは、三国は魏と斉と梁と、この三つの世におはせしとなり。知聞といふは三つの世にしられきこえたまひきとなり。

◗654: 5 洞暁衆経といふは、あきらかによろづの経典をさとりたまふとなり。独出人外といふは、よろづの人にすぐれたりとなり。

◗654: 7 梁国の天子といふは、梁の世の王といふなり、蕭王の名なり。恒向北礼といふは、梁の王、つねに曇鸞の北のかたにましましけるを、菩薩と礼したてまつりたまひけるなり。

◗654:10 註解往生論といふは、この浄土論をくはしう釈したまふを、註論と申す論をつくりたまへるなり。裁成両巻といふは、註論は二巻になしたまふなり。

◗654:12 釈迦才の三巻の浄土論といふは、釈迦才と申すは、釈といふは釈尊の御弟子とあらはすことばなり。迦才は、浄土宗の祖師なり、智者にておはせし人なり。かの聖人の三巻の浄土論をつくりたまへるに、この曇鸞の御ことばあらはせりとなり。

◗655: 1 【8】唐朝光明寺善導和尚真像銘文

◗655: 2  智栄讃善導別徳云 善導阿弥陀仏化身 称仏六字 即嘆仏即懴悔 即発願回向 一切善根 荘厳浄土

◗655: 4  智栄と申すは、震旦の聖人なり。善導の別徳をほめたまうていはく、善導は阿弥陀仏の化身なりとのたまへり。

◗655: 5 称仏六字といふは、南無阿弥陀仏の六字をとなふるとなり。

◗655: 6 即嘆仏といふは、すなはち南無阿弥陀仏をとなふるは、仏をほめたてまつるになるとなり。

◗655: 7 また即懴悔といふは、南無阿弥陀仏をとなふるは、すなはち無始よりこのかたの罪業を懴悔するになると申すなり。

◗655: 9 即発願回向といふは、南無阿弥陀仏をとなふるは、すなはち安楽浄土に往生せんとおもふになるなり、また一切衆生にこの功徳をあたふるになるとなり。

◗655:11 一切善根荘厳浄土といふは、阿弥陀の三字に一切善根ををさめたまへるゆゑに、名号をとなふるはすなはち浄土を荘厳するになるとしるべしとなりと。智栄禅師、善導をほめたまへるなり。

◗655:14 【9】善導和尚云 言南無者 即是帰命 亦是発願回向之義 言阿弥陀仏者 即是其行 以斯義故 必得往生

◗656: 1  言南無者といふは、すなはち帰命と申すみことばなり。帰命は、すなはち釈迦・弥陀の二尊の勅命にしたがひて、召しにかなふと申すことばなり。このゆゑに即是帰命とのたまへり。

◗656: 3 亦是発願回向之義といふは、二尊の召しにしたがうて、安楽浄土に生れんとねがふこころなりとのたまへるなり。

◗656: 5 言阿弥陀仏者と申すは、即是其行となり。即是其行は、これすなはち法蔵菩薩の選択本願なりとしるべしとなり。安養浄土の正定の業因なりとのたまへるこころなり。

◗656: 7 以斯義故といふは、正定の因なるこの義をもつてのゆゑにといへる御こころなり。必はかならずといふ。得はえしむといふ。往生といふは、浄土に生るといふなり。かならずといふは、自然に往生をえしむとなり。自然といふは、はじめてはからはざるこころなり。

◗656:11 【10】又曰 言摂生増上縁者 如無量寿経 四十八願中説 仏言 若我成仏 十方衆生 願生我国 称我名字 下至十声 乗我願力 若不生者 不取正覚 此即是願往生行人 命欲終時 願力摂得往生 故名摂生増上縁

◗656:15  言摂生増上縁者といふは、摂生は十方衆生を誓願にをさめとらせたまふと申すこころなり。

◗657: 1 如無量寿経四十八願中説といふは、如来の本願を説きたまへる釈迦の御のりなりとしるべしとなり。

◗657: 2 若我成仏と申すは、法蔵菩薩誓ひたまはく、もしわれ仏を得たらんにと説きたまふ。

◗657: 3 十方衆生といふは、十方のよろづの衆生なり、すなはちわれらなり。

◗657: 4 願生我国といふは、安楽浄刹に生れんと願へとなり。

◗657: 5 称我名字といふは、われ仏を得んにわがなをとなへられんとなり。

◗657: 6 下至十声といふは、名字をとなへられんこと下十声せんものとなり。下至といふは、十声にあまれるものも聞名のものをも、往生にもらさずきらはぬことをあらはししめすとなり。

◗657: 9 乗我願力といふは、乗はのるべしといふ、また智なり。智といふは、願力にのせたまふとしるべしとなり。願力に乗じて安楽浄刹に生れんとしるなり。

◗657:11 若不生者不取正覚といふは、ちかひを信じたる人、もし本願の実報土に生れずは、仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。

◗657:12 此即是願往生行人といふは、これすなはち往生を願ふ人といふ。

◗657:13 命欲終時といふは、いのちをはらんとせんときといふ。

◗657:14 願力摂得往生といふは、大願業力摂取して往生を得しむといへるこころなり。すでに尋常のとき信楽をえたる人といふなり、臨終のときはじめて信楽決定して摂取にあづかるものにはあらず。ひごろ、かの心光に摂護せられまゐらせたるゆゑに、金剛心をえたる人は正定聚に住するゆゑに、臨終のときにあらず。かねて尋常のときよりつねに摂護して捨てたまはざれば、摂得往生と申すなり。このゆゑに摂生増上縁となづくるなり。

◗658: 5 またまことに尋常のときより信なからん人は、ひごろの称念の功によりて、最後臨終のときはじめて善知識のすすめにあうて信心をえんとき、願力摂して往生を得るものもあるべしとなり。臨終の来迎をまつものは、いまだ信心をえぬものなれば、臨終をこころにかけてなげくなり。

◗658:10 【11】又曰 言護念増上縁者 乃至 但有専念 阿弥陀仏衆生 彼仏心光 常照是人 摂護不捨 総不論照摂 余雑業行者 此亦是 現生護念増上縁

◗658:13  言護念増上縁者といふは、まことの心をえたる人を、この世にてつねにまもりたまふと申すことばなり。

◗658:14 但有専念阿弥陀仏衆生といふは、ひとすぢにふたごころなく弥陀仏を念じたてまつると申すなり。

◗658:15 彼仏心光常照是人といふは、彼はかのといふ。仏心光は無礙光仏の御こころと申すなり。常照はつねにてらすと申す。つねにといふは、ときをきらはず、日をへだてず、ところをわかず、まことの信心ある人をばつねにてらしたまふとなり。てらすといふは、かの仏心のをさめとりたまふとなり。仏心光は、すなはち阿弥陀仏の御こころにをさめたまふとしるべし。是人は信心をえたる人なり。つねにまもりたまふと申すは、天魔波旬にやぶられず、悪鬼・悪神にみだられず、摂護不捨したまふゆゑなり。摂護不捨といふは、をさめまもりてすてずとなり。

◗659: 8 総不論照摂余雑業行者といふは、総はすべてといふ、みなといふ。雑行雑修の人をばすべてみなてらしをさめまもりたまはずとなり。てらしまもりたまはずと申すは、摂取不捨の利益にあづからずとなり。本願の行者にあらざるゆゑなりとしるべし。しかれば、摂護不捨と釈したまはず。

◗659:12 現生護念増上縁といふは、この世にてまことの信ある人をまもりたまふと申すみことなり。増上縁はすぐれたる強縁となり。

◗659:14 【12】皇太子聖徳御銘文

◗659:15  御縁起曰 百済国聖明王太子阿佐礼曰 敬礼救世 大慈観音菩薩 妙教流通 東方日本国 四十九歳 伝灯演説

◗660: 2  新羅国聖人日羅礼曰 敬礼救世 観音大菩薩 伝灯東方 粟散王

◗660: 3  御縁起曰といふは、聖徳太子の御縁起なり。

◗660: 3 百済国といふは、聖徳太子、さきの世に生れさせたまひたりける国の名なり。

◗660: 4 聖明王といふは、百済国に太子のわたらせたまひたりけるときの、その国の王の名なり。

◗660: 6 太子阿佐礼曰といふは、聖明王の太子の名なり。聖徳太子をこひしたひかなしみまゐらせて、御かたちを金銅にて鋳まゐらせたりけるを、この和国に聖徳太子生れてわたらせたまふとききまゐらせて、聖明王、わがこの阿佐太子を勅使として、金銅の救世観音の像をおくりまゐらせしとき、礼しまゐらすとして誦せる文なり、敬礼救世大慈観音菩薩と申しけり。

◗660:10 妙教流通東方日本国と申すは、上宮太子、仏法をこの和国につたへひろめおはしますとなり。

◗660:12 四十九歳といふは、上宮太子は四十九歳までぞ、この和国にわたらせたまはんずると阿佐太子申しけり。おくられたまへる金銅の救世菩薩は、天王寺の金堂にわたらせたまふなり。

◗660:14 伝灯演説といふは、伝灯は仏法をともしびにたとへたるなり。演説は、上宮太子仏教を説きひろめましますべしと阿佐太子申しけり。

◗661: 2  また新羅国より上宮太子をこひしたひまゐらせて、日羅と申す聖人きたりて、聖徳太子を礼したてまつりてまうさく、敬礼救世観音大菩薩と申すは、聖徳太子は救世観音にておはしますと礼しまゐらせけり。

◗661: 4 伝灯東方と申すは、仏法をともしびにたとへて、東方と申すはこの和国に仏教のともしびをつたへおはしますと日羅申しけり。

◗661: 6 粟散王と申すは、この国はきはめて小国なりといふ。粟散といふは、あはつぶをちらせるがごとく小さき国の王と聖徳太子のならせたまひたると申しけるなりと。

◗662: 1  尊号真像銘文 末

◗662: 5 【13】首楞厳院源信和尚の銘文

◗662: 6  我亦在彼 摂取之中 煩悩障眼 雖不能見 大悲無倦 常照我身

◗662: 8  我亦在彼摂取之中といふは、われまたかの摂取のなかにありとのたまへるなり。

◗662: 9 煩悩障眼といふは、われら煩悩にまなこさへらるとなり。

◗662: 9 雖不能見といふは、煩悩のまなこにて仏をみたてまつることあたはずといへどもといふなり。

◗662:11 大悲無倦といふは、大慈大悲の御めぐみ、ものうきことましまさずと申すなり。

◗662:12 常照我身といふは、常はつねにといふ、照はてらしたまふといふ。無礙の光明、信心の人をつねにてらしたまふとなり。つねにてらすといふは、つねにまもりたまふとなり。我身は、わが身を大慈大悲ものうきことなくして、つねにまもりたまふとおもへとなり。摂取不捨の御めぐみのこころをあらはしたまふなり。念仏衆生摂取不捨のこころを釈したまへるなりとしるべしとなり。

◗663: 3 【14】日本源空聖人真影

◗663: 4  四明山 権律師 劉官讃 普勧道俗 念弥陀仏 能念皆見 化仏菩薩 明知称名 往生要術 宜哉源空 慕道化物 信珠在心 心照迷境 疑雲永晴 仏光円頂 建暦壬申三月一日

◗663: 7  普勧道俗念弥陀仏といふは、普勧はあまねくすすむとなり。道俗は、道にふたりあり俗にふたりあり。道のふたりは、一つには僧、二つには比丘尼なり。俗にふたり、一つには仏法を信じ行ずる男なり、二つには仏法を信じ行ずる女なり。念弥陀仏と申すは、尊号を称念するとなり。

◗663:10 能念皆見化仏菩薩と申すは、能念はよく名号を念ずとなり、よく念ずと申すはふかく信ずるなり。皆見といふは、化仏・菩薩をみんとおもふ人はみなみたてまつるなり。化仏菩薩と申すは、弥陀の化仏、観音・勢至等の聖衆なり。

◗663:14 明知称名と申すは、あきらかにしりぬ、仏のみなをとなふれば往生すといふことを要術とすといふ。往生の要には如来のみなをとなふるにすぎたることはなしとなり。

◗664: 1 宜哉源空と申すは、宜哉はよしといふなり。源空は聖人の御名なり。慕道化物といふは、慕道は無上道をねがひしたふべしとなり。化物といふは、物といふは衆生なり、化はよろづのものを利益すとなり。

◗664: 4 信珠在心といふは、金剛の信心をめでたき珠にたとへたまふ。信心の珠をこころにえたる人は、生死の闇にまどはざるゆゑに、心照迷境といふなり。信心の珠をもつて、愚痴の闇をはらひ、あきらかに照らすとなり。

◗664: 8 疑雲永晴といふは、疑雲は願力を疑ふこころを雲にたとへたるなり。永晴といふは疑ふこころの雲をながく晴らしぬれば安楽浄土へかならず生るるなり。無礙光仏の摂取不捨の心光をもつて信心をえたる人をつねに照らしまもりたまふゆゑに、仏光円頂といへり。仏光円頂といふは、仏心をしてあきらかに信心の人の頂をつねに照らしたまふとほめたまひたるなり、これは摂取したまふゆゑなりとしるべし。

◗664:13 【15】比叡山延暦寺宝幢院黒谷源空聖人真像

◗664:14  選択本願念仏集云 南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本

◗665: 1  又曰 夫速欲離生死 二種勝法中 且閣聖道門 選入浄土門 欲入浄土門 正雑二行中 且抛諸雑行 選応帰正行 欲修於正行 正助二業中 猶傍於助業 選応専正定 正定之業者 即是称仏名 称名必得生 依仏本願故

◗665: 5  又曰 当知生死之家 以疑為所止 涅槃之城 以信為能入

◗665: 6  選択本願念仏集といふは、聖人の御製作なり。

◗665: 6 南無阿弥陀仏往生之業念仏為本といふは、安養浄土の往生の正因は念仏を本とすと申す御ことなりとしるべし。正因といふは、浄土に生れて仏にかならず成るたねと申すなり。

◗665:10  またいはく、夫速欲離生死といふは、それすみやかに疾く生死をはなれんとおもへとなり。

◗665:11 二種勝法中且閣聖道門といふは、二種勝法は、聖道・浄土の二門なり。且閣聖道門は、且閣はしばらくさしおけとなり、しばらく聖道門をさしおくべしとなり。

◗665:13 選入浄土門といふは、選入はえらびていれとなり、よろづの善法のなかに選びて浄土門に入るべしとなり。

◗665:15 欲入浄土門といふは、浄土門に入らんと欲はばといふなり。

◗665:15 正雑二行中且抛諸雑行といふは、正雑二行二つのなかに、しばらくもろもろの雑行をなげすてさしおくべしとなり。

◗666: 2 選応帰正行といふは、選びて正行に帰すべしとなり。

◗666: 3 欲修於正行正助二業中猶傍於助業といふは、正行を修せんと欲はば、正行・助業二つのなかに助業をさしおくべしとなり。

◗666: 5 選応専正定といふは、選びて正定の業をふたごころなく修すべしとなり。

◗666: 6 正定之業者即是称仏名といふは、正定の業因はすなはちこれ仏名をとなふるなり。正定の因といふは、かならず無上涅槃のさとりをひらくたねと申すなり。

◗666: 8 称名必得生依仏本願故といふは、御名を称するはかならず安楽浄土に往生を得るなり、仏の本願によるがゆゑなりとのたまへり。

◗666:10  またいはく、当知生死之家といふは、当知はまさにしるべしとなり。生死之家は生死の家といふなり。

◗666:11 以疑為所止といふは、大願業力の不思議を疑ふこころをもつて、六道・四生・二十五有・十二類生 類生といふは一に卵生、二に胎生、三に湿生、四に化生、五に有色生、六に無色生、七に有相生、八に無相生、九に非有色生、十に非無色生、十一に非有相生、十二に非無相生 にとどまるとなり。いまにひさしく世に迷ふとしるべしとなり。

◗666:15 涅槃之城と申すは、安養浄刹をいふなり。これを涅槃のみやことは申すなり。

◗667: 2 以信為能入といふは、真実信心をえたる人の、如来の本願の実報土によく入るとしるべしとのたまへるみことなり。信心は菩提のたねなり、無上涅槃をさとるたねなりとしるべしとなり。

◗667: 5 【16】法印聖覚和尚の銘文

◗667: 6  夫根有利鈍者 教有漸頓 機有奢促者 行有難易 当知 聖道諸門 漸教也 又難行也 浄土一宗者 頓教也 又易行也 所謂真言止観之行 獼猴情難学 三論法相之教 牛羊眼易迷 然至我宗者 弥陀本願 定行因於十念 善導料簡 決器量於三心 雖非利智精進 専念実易勤 雖非多聞広学 信力何不備 乃至 然我大師聖人 為釈尊之使者 弘念仏一門 為善導之再誕 勧称名一行 専修専念之行 自此漸弘 無間無余之勤 在今始知 然則破戒罪根之輩 加肩入往生之道 下智浅才之類 振臂赴浄土之門 誠知 無明長夜之大灯炬也 何悲智眼闇 生死大海之大船筏也 豈煩業障重 略抄

◗667:14  夫根有利鈍者といふは、それ衆生の根性に利鈍ありとなり。利といふはこころのとき人なり、鈍といふはこころのにぶき人なり。

◗667:15 教有漸頓といふは、衆生の根性にしたがうて仏教に漸頓ありとなり。漸はやうやく仏道を修して、三祇百大劫をへて仏に成るなり。頓はこの娑婆世界にして、この身にてたちまちに仏に成ると申すなり。これすなはち仏心・真言・法華・華厳等のさとりをひらくなり。

◗668: 4 機有奢促者といふは、機に奢促あり。奢はおそきこころなるものあり、促はときこころなるものあり。このゆゑに行有難易といふは、行につきて難あり、易ありとなり。難は聖道門自力の行なり、易は浄土門他力の行なり。

◗668: 7 当知聖道諸門漸教也といふは、すなはち難行なり、また漸教なりとしるべしとなり。

◗668: 8 浄土一宗者といふは、頓教なり、また易行なりとしるべしとなり。

◗668: 9 所謂真言止観之行といふは、真言は密教なり、止観は法華なり。

◗668:10 獼猴情難学といふは、この世の人のこころをさるのこころにたとへたるなり。さるのこころのごとく定まらずとなり。このゆゑに真言・法華の行は修しがたく行じがたしとなり。

◗668:13 三論法相之教牛羊眼易迷といふは、この世の仏法者のまなこを牛・羊のまなこにたとへて、三論・法相宗等の聖道自力の教にはまどふべしとのたまへるなり。

◗668:15 然至我宗者といふは、聖覚和尚ののたまはく、わが浄土宗は、弥陀の本願の実報土の正因として、乃至十声一声称念すれば、無上菩提にいたるとをしへたまふ。善導和尚の御をしへには、三心を具すればかならず安楽に生るとのたまへるなりと、聖覚和尚ののたまへるなり。

◗669: 4 雖非利智精進といふは、智慧もなく精進の身にもあらず、鈍根懈怠のものも、専修専念の信心をえつれば往生すとこころうべしとなり。

◗669: 5 然我大師聖人といふは、聖覚和尚は、聖人をわが大師聖人と仰ぎたのみたまふ御ことばなり。

◗669: 7 為釈尊之使者弘念仏之一門といふは、源空聖人は釈迦如来の御つかひとして念仏の一門を弘めたまふとしるべしとなり。

◗669: 8 為善導之再誕勧称名之一行といふは、聖人は善導和尚の御身として称名の一行を勧めたまふなりとしるべしとなり。

◗669:10 専修専念之行自此漸弘無間無余之勤といふは、一向専修と申すことはこれより弘まるとしるべしとなり。

◗669:11 然則破戒罪根之輩加肩入往生之道といふは、然則はしからしめて、この浄土のならひにて、破戒・無戒の人、罪業ふかきもの、みな往生すとしるべしとなり。

◗669:14 下智浅才之類振臂赴浄土之門といふは、無智・無才のものは浄土門に赴くべしとなり。

◗669:15 誠知無明長夜之大灯炬也何悲智眼闇といふは、誠知はまことにしりぬといふ。弥陀の誓願は無明長夜のおほきなるともしびなり。なんぞ智慧のまなこ闇しと悲しまんやとおもへとなり。

◗670: 2 生死大海之大船筏也豈煩業障重といふは、弥陀の願力は生死大海のおほきなる船・筏なり。極悪深重の身なりとなげくべからずとのたまへるなり。

◗670: 4 倩思教授恩徳実等弥陀悲願者といふは、師主のをしへをおもふに、弥陀の悲願に等しとなり。大師聖人の御をしへの恩おもくふかきことをおもひしるべしとなり。

◗670: 7 粉骨可報之摧身可謝之といふは、大師聖人の御をしへの恩徳のおもきことをしりて、骨を粉にしても報ずべしとなり、身を摧きても恩徳を報ふべしとなり。よくよくこの和尚のこのをしへを御覧じしるべしと。

◗670:11 【17】和朝愚禿釈親鸞正信偈文

◗670:12  本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就 如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪時群生海 応信如来如実言 能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃 凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味 摂取心光常照護 已能雖破無明闇 貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇 獲信見敬得大慶 即横超截五悪趣

◗671: 2  本願名号正定業といふは、選択本願の行といふなり。

◗671: 2 至心信楽願為因といふは、弥陀如来回向の真実信心なり、この信心を阿耨菩提の因とすべしとなり。

◗671: 4 成等覚証大涅槃といふは、成等覚といふは正定聚の位なり。この位を龍樹菩薩は即時入必定とのたまへり、曇鸞和尚は入正定之数とをしへたまへり。これはすなはち弥勒の位とひとしとなり。証大涅槃と申すは、必至滅度の願成就のゆゑにかならず大般涅槃をさとるとしるべし。滅度と申すは、大涅槃なり。

◗671: 9 如来所以興出世といふは、諸仏の世に出でたまふゆゑはと申すみのりなり。

◗671:10 唯説弥陀本願海と申すは、諸仏の世に出でたまふ本懐は、ひとへに弥陀の願海一乗のみのりを説かんとなり。しかれば、大経には、如来所以 興出於世 欲拯群萌 恵以真実之利と説きたまへり。如来所以興出於世は、如来と申すは諸仏と申すなり。所以といふはゆゑといふみことなり。興出於世といふは世に仏出でたまふと申すみことなり。欲拯群萌は、欲といふはおぼしめすとなり。拯はすくはんとなり。群萌はよろづの衆生をすくはんとおぼしめすとなり。仏の世に出でたまふゆゑは、弥陀の御ちかひを説きてよろづの衆生をたすけすくはんとおぼしめすとしるべし。

◗672: 3 五濁悪時群生海応信如来如実言といふは、五濁悪世のよろづの衆生、釈迦如来のみことをふかく信受すべしとなり。

◗672: 4 能発一念喜愛心といふは、能はよくといふ。発はおこすといふ、ひらくといふ。一念喜愛心は一念慶喜の真実信心よくひらけ、かならず本願の実報土に生るとしるべし。慶喜といふは、信をえてのちよろこぶこころをいふなり。

◗672: 8 不断煩悩得涅槃といふは、不断煩悩は煩悩をたちすてずしてといふ。得涅槃と申すは無上大涅槃をさとるをうるとしるべし。

◗672: 9 凡聖逆謗斉回入といふは、小聖・凡夫・五逆・謗法・無戒・闡提、みな回心して真実信心海に帰入しぬれば、衆水の海に入りてひとつ味はひとなるがごとしとたとへたるなり。これを如衆水入海一味といふなり。

◗672:12 摂取心光常照護といふは、信心をえたる人をば、無礙光仏の心光つねに照らし護りたまふゆゑに、無明の闇はれ、生死のながき夜すでに暁になりぬとしるべしとなり。已能雖破無明闇といふはこのこころなり。信心をうれば暁になるがごとしとしるべし。

◗673: 1 貪愛瞋憎之雲霧常覆真実信心天といふは、われらが貪愛・瞋憎を雲・霧にたとへて、つねに信心の天に覆へるなりとしるべし。

◗673: 2 譬如日月覆雲霧雲霧之下明無闇といふは、日月の雲・霧に覆はるれども、闇はれて雲・霧の下あきらかなるがごとく、貪愛・瞋憎の雲・霧に信心は覆はるれども、往生にさはりあるべからずとしるべしとなり。

◗673: 5 獲信見敬得大慶といふは、この信心をえておほきによろこびうやまふ人といふなり。大慶は、おほきにうべきことをえてのちによろこぶといふなり。

◗673: 7 即横超截五悪趣といふは、信心をえつればすなはち横に五悪趣をきるなりとしるべしとなり。即横超は、即はすなはちといふ、信をうる人はときをへず日をへだてずして正定聚の位に定まるを即といふなり。横はよこさまといふ、如来の願力なり、他力を申すなり。超はこえてといふ、生死の大海をやすくよこさまに超えて無上大涅槃のさとりをひらくなり。

◗673:12 信心を浄土宗の正意としるべきなり。このこころをえつれば、他力には義のなきをもつて義とすと、本師聖人の仰せごとなり。義といふは行者のおのおののはからふこころなり。このゆゑにおのおののはからふこころをもたるほどをば自力といふなり。よくよくこの自力のやうをこころうべしとなり。

◗674: 3  正嘉二歳戊午六月二十八日これを書く。
  愚禿親鸞八十六歳