◗567: 1 十二箇条の問答 第二十一

◗567: 3 問ていはく、念仏すれば往生すべしといふ事、耳なれたるやうにありながら、いかなるゆへともしらず。かやうの五障の身までも、すてられぬ事ならば、こまかにおしへさせ給へ。

◗567: 5 答ていはく、およそ生死をいづるおこなひ一つにあらずといへども、まづ極楽に往生せんとねがへ、弥陀を念ぜよよいふ事、釈迦一代の教にあまねくすゝめ給へり。

◗567: 7 そのゆへは、弥陀の本願をおこして、わが名号を念ぜん物、わが浄土にむまれずは正覚とらじとちかひて、すでに正覚をなり給ふゆへに、この名号をとなふるものはかならず往生する也。

◗567: 9 臨終の時、もろもろの聖衆とゝもにきたりて、かならず迎接し給ふゆへに、悪業としてさふるものなく、魔縁としてさまたぐる事なし。男女・貴賎をえらばず、善人・悪人をもわかたず、心をいたして弥陀を念ずるに、むまれずといふ事なし。

◗567:12 たとへばおもき石をふねにのせつれば、しづむ事なく万里のうみをわたるがごとし。罪業のおもき事は石のごとくなれども、本願のふねにのりぬれば、生死のうみにしづむ事なく、かならず往生する也。

◗567:15 ゆめゆめわが身の罪業によりて、本願の不思議をうたがはせ給ふべからず。これを他力の往生とは申す也。自力にて生死をいでんとするには、煩悩悪業を断じつくして、浄土にもまいり菩提にもいたると習ふ。これはかちよりけわしきみちをゆくがごとし。

◗568: 4 問ていはく、罪業おもけれども、智慧の灯をもちて、煩悩のやみをはらふ事にて候なれば、かやうの愚痴の身には、つみをつくる事はかさなれども、つぐのふ事はなし。なにをもてこのつみをけすべしともおぼへず候は又いかん。

◗568: 6 答ていはく、たゞ仏の御詞を信じてうたがひなければ、仏の御ちからにて往生する也。さきのたとへのごとく、ふねにのりぬれば、目しゐたる物も目あきたる物も、ともにゆくがごとし。

◗568: 9 智慧のまなこある物も、仏を念ぜざれば願力にかなはず、愚痴のやみふかきものも、念仏すれば願力に乗ずる也。念仏する物をば、弥陀、光明をはなちてつねにてらしてすて給はねば、悪縁にあはずして、かならず臨終に正念をえて往生するなり。さらにわが身の智慧のありなしによりて、往生の定不定をばさだむべからず。たゞ信心のふかかるべき也。

◗568:14 問ていはく、世をそむきたる人は、ひとすぢに念仏すれば往生もえやすき事也。かやうの身には、あしたにもゆふべにもいとなむ事は名聞、昨日も今日もおもふ事は利養也。かやうの身にて申さん念仏は、いかゞ仏の御心にもかなひ候べきや。

◗569: 2 答ていはく、浄摩尼珠といふたまを、にごれる見ずに投ぐれば、たまの用力にて、その水きよくなるがごとし。衆生の心はつねに名利にそみて、にごれる事かのみづのごとくなれども、念仏の摩尼珠を投ぐれば、心のみづおのづからきよくなりて、往生をうる事は念仏のちから也。

◗569: 5 わが心をしづめ、このさわりをのぞきてのち、念仏せよとにはあらず。たゞつねに念仏して、そのつみをば滅すべし。さればむかしより、在家の人おほく往生したるためし、いくばくかおほき。心のしづかならざらんにつけても、よくよく仏力をたのみ、もはら念仏すべし。

◗569: 9 問ていはく、念仏は数遍を申せとすゝむる人もあり、又さしもなくともなんど申す人もあり。いづれにかしたがひ候べき。

◗569:10 答ていはく、さとりもあり、ならふ〔む〕ねもありて申さん事は、その心のうちしりがたければ、さだめにくし。

◗569:11 在家の人の、つねに悪縁にのみしたしまれ、身には数遍を申さずして、いたづらに日をくらし、むなしく夜をあかさん事、荒量の事にや候はんずらん。凡夫は縁にしたがひて退しやすき物なれば、いかにもいかにもはげむべき事也。されば、処処におほく念念に相続してわすれざれといへり。

◗570: 1 問ていはく、念念にわすれざる程の事こそ、わが身にかなひがたくおぼへ候へ。又手には念珠をとれども、心にはそゞろ事をのみ思ふ。この念仏は、往生の業にはかなひがたくや候はんずらん。これをきらはれば、この身の往生は不定なるかたもありぬべし。

◗570: 4 答ていはく、念念にすてざれとおしふる事は、人のほどにしたがひてすゝむる事なれば、わが身にとりて心のおよび、身のはげまん程は、心にはからはせ給べし。

◗570: 6 又念仏の時悪業の思はるゝ事は、一切の凡夫のくせ也。さりながらも往生の心ざしありて念仏せば、ゆめゆめさわりとはなるべからず。たとへば親子の約束をなす人、いさゝかそむく心あれども、さきの約束改変する程の心なければ、おなじ親子なるがごとし。念仏して往生せんと心ざして念仏を行ずるに、凡夫なるがゆへに貪瞋の煩悩おこるといへども、念仏往生の約束をひるがへさゞれば、かならず往生する也。

◗570:12 問ていはく、これ程にやすく往生せば、念仏するほどの人はみな往生すべきに、ねがふ物もおほく、念ずる物もおほき中に、往生する物のまれなるは、なにのゆへとか思ひ候べき。

◗570:14 答ていはく、人の心はほかにあらはるゝ事なければ、その邪正さだめがたしといへども、経には三心を具して往生すとみへて候めり。この心を具せざるがゆへに、念仏すれども往生をえざる也。三心と申すは、一には至誠心、二には深心、三には廻向発願心也。

◗571: 2 はじめに至誠心といふは真実心也と釈するは、内外とゝのほれる心也。何事をするにも、ま事しき心なくては成ずる事なし。人なみなみの心をもちて、穢土のいとはしからぬをいとふよしをし、浄土のねがはしからぬをねがふ気色をして、内外とゝのほらぬをきらひて、ま事の心ざしをもて、穢土をもいとひ浄土をもねがへとおしふる也。

◗571: 6 次に深心といふは、仏の本願を信ずる心也。われは悪業煩悩の身なれども、ほとけの願力にて、かならず往生するなりといふ道理をきゝて、ふかく信じて、つゆちりばかりもうたがはぬ心也。人おほくさまたげんとして、これをにくみ、これをさへぎれども、これによりて心のはたらかざるを、ふかき信とは申也。

◗571:10 次に廻向発願心といふは、わが修するところの行を廻向して、極楽にむまれんとねがふ心也。

◗571:11 わが行のちから、わが心のいみじくて往生すべしとはおもはず、ほとけの願力のいみじくおはしますによりて、むまるべくもなき物もむまるべしと信じて、いのちおはらば仏かならずきたりてむかへ給へと思う心を、金剛の一切の物にやぶられざるがごとく、この心をふかく信じて、臨終までもとおりぬれば、十人は十人ながらむまれ、百人は百人んがらむらるゝ也。

◗572: 1 さればこの心なき物は、仏を念ずれども順次の往生をばとげず、遠縁とはなるべし。この心のおこりたる事は、わが身にしるべし、人はしるべからず。

◗572: 4 問ていはく、往生をねがはぬにはあらず、ねがふといふとも、その心勇猛ならず。又念仏をいやしと思ふにはあらず、行じながらおろそかにしてかしくらし候へば、かゝる身なれば、いかにもこの三心具したりと申すべくもなし。さればこのたびの往生をばおもひたへ候べきにや。

◗572: 7 答ていはく、浄土をねがへどもはげしからず、念仏すれども心のゆるなる事をなげくは、往生の心ざしのなきにはあらず。心ざしのなき物は、ゆるなるをもなげかず、はげしからぬをもかなしまず、いそぐみちにはあしのおそきをなげく、いそがざるみちにはこれをなげかざるがごとし。

◗572:11 又このめばおのづから発心すと申す事もあれば、漸漸に増進してかならず往生すべし。日ごろ十悪・五逆をつくれる物も、臨終にはじめて善知識にあひて往生する事あり。いはんや、往生をねがひ念仏を申して、わが心のはげしからぬ事をなげかん人をば、仏もあはれみ、菩薩もまぼりて、障りをのぞき、知識にあひて、往生をうべき也。

◗573: 1 問ていはく、つねに念仏の行者いかやうにかおもひ候べきや。

◗573: 1 答ていはく、ある時には世間の无常なる事をおもひて、この世のいくほどなき事をしれ。

◗573: 2 ある時には仏の本願をおもひて、かならずむかへ給へと申せ。

◗573: 3 ある時には人身のうけがたきにことはりを思ひて、このたびむなしくやまん事をかなしめ。六道をめぐるに、人身をうる事は、梵天より糸をくだして、大海のそこなる針のあなをとをさんがごとしといへり。

◗573: 6 ある時はあひがたき仏法にあへり。このたび出離の業をうゑずは、いつをか期すべきとおもふべき也。ひとたび悪道におちぬれば、阿僧祇劫をふれども、三宝の御名をきかず、いかにいはんや、ふかく信ずる事をえんや。

◗573: 8 ある時にはわが身の宿善をよろこぶべし。かしこきもいやしきも、人おほしといへども、仏法を信じ浄土をねがふものはまれ也。信ずるまでこそかたからめ、そしりにくみて悪道の因をのみきざす。しかるにこれを信じこれを貴びて、仏をたのみ往生を心ざす、これひとへに宿善のしからしむる也。たゞ今生のはげみにあらず、往生の期のいたれる也と、たのもしくよろこぶべし。

◗573:13 かやうの事を、おりにしたがひ事によりて、おもふべきなり。

◗573:15 問ていはく、かやうの愚痴の身には聖教をも見ず、悪縁のみおほし。いかなる方法をもてか、わが心をまぼり、信心をももよをすべきや。

◗574: 1 答ていはく、そのやう一にあらず。あるいは人の苦にあふを見て、三塗の苦をおもひやれ。あるいは人のしぬるを見て、无常のことわりをさとれ。あるいはつねに念仏して、その心をはげませ。あついはつねによきともにあひて、心をはぢししめられよ。人の心は、おほく悪縁によりてき心のおこる也。されば悪縁をばきり、善縁にはちかづけといへり。これらの方法ひとしなならず、時にしたがひてはからふべし。

◗574: 7 問ていはく、念仏のほかの余善をば、往生の業にあらずとて、修すべからずといふ事あり。これはしかるべしや。

◗574: 8 答ていはく、たとへば人のみちをゆくに、主人一人につきて、おほくの眷属のゆくがごとし。往生の業の中に、念仏は主人也、余の善は眷属也。しかりといひて、余善をきらふまではあるべからず。

◗574:11 問ていはく、本願は悪人をきらはねばとて、このみて悪業をつくる事はしかるべしや。

◗574:12 答ていはく、ほとけは悪人をすて給はねども、このみて悪をつくる事、これ仏の弟子にはあらず。一切の仏法に悪を制せずといふ事なし。悪を制するに、かならずしもこれをとゞめざるものは、念仏してそのつみを滅せよとすゝめたる也。

◗574:15 わが身のたへねばとて、仏にとがをかけたてまつらん事は、おほきなるあやまり也。わが身の悪をとゞむるにあたはずは、ほとけ慈悲をすて給はずして、このつみを滅してむかへ給へと申すべし。つみをばたゞつくるべしといふ事は、すべて仏法にいはざるところ也。

◗575: 3 たとへば人のおやの、一切の子をかなしむに、そのなかによき子もあり、あしき子もあり。ともに慈悲をなすとはいへども、悪を行ずる子をば、目をいからし、杖をさゝげて、いましむるがごとし。仏の慈悲のあまねき事をきゝては、つみをつくれとおぼしめすといふさとりをなさば、仏の慈悲にももれぬべし。悪人までをもすて給はぬ本願としらんにつけても、いよいよほとけの知見をば、はづべし、かなしむべし。父母の慈悲あればとて、父母のまへにて悪を行ぜんに、その父母よろこぶべしや。なげきながらすてず、あはれみながらにくむ也。ほとけも又もてかくのごとし。

◗575:11 問ていはく、凡夫は心に悪をおもはずといふ事なし。この悪をほかにあらはさゞるは、仏をはぢずして人目をはゞかるといふ事あり。これは心のままにふるまふべしや。答ていはく、人の帰依をえんとおもひてほかをかざらんは、とがあるかたもやあらん。悪をばしのばんがために、たとひ心におもふとも、ほかまではあらはさじとおもひておさへん事は、すなはちほとけに恥る心也。とにもかくにも悪をしのびて、念仏の功をつむべき也。

◗576: 1 習ひさきよりあらざれば、臨終正念もかたし。つねに臨終のおもひをなして、臥すごとに十念をとなふべし。されば、ねてもさめてもわするゝ事なかれといへり。おほかたは世間も出世も、道理はたがはぬ事にて候也。

◗576: 4 心ある人は父母もあはれみ、主君もはぐゝむにしたがひて、悪事をばしりぞき、善事をばこのまんとおもへり。悪をもすて給はぬ本願ときかんにも、まして善人をば、いかばかりかよろこび給はんと思ふべき也。一念・十念をもむかへ給ふときかば、いはんや百念・千念をやとおもひて、心のおよび、身のはげまれん程ははげむべし。

◗576: 8 さればとてわが身の器量のかなはざらんをばしらず、仏の引接をばうたがふべからず。たとひ七、八十のよはひを期すとも、おほへばゆめのごとし。いはんや、老少不定なれば、いつをかぎりと思ふべからず。さらにのちを期する心あるべからず。たゞ一とすぢに念仏すべしといふ事、そのいはれ一にあらず。

◗576:13 これを見んおりおりごとにおもひでゝ、南無阿弥陀仏とつねにとなへよ。