©930:12 或人念仏之不審を、故聖人奉問曰、第二十願は大綱の願なり。係念といふは、三生の内にかならず果遂すべし。仮令通計するに、百年の内に往生すべき也 云云。これ九品往生の義、意釈なり。極大遅者をもて三生に出ざるこゝろ、かくのごとく釈せり。

©931: 1 又阿弥陀経の已発願等は、これ三生之証也と。

©931: 2 又云、阿弥陀経等は浄土門の出世の本懐なり、法華経者聖道門の出世の本懐なり 云云。望ところはことなり、疑に足ざる者也。

©931: 4 又云、我安置するところの一切経律論は、これ観経所摂の法也。

©931: 5 又云、地蔵等の諸の菩薩を蔑如すべからず。往生以後、伴侶たるべきがゆへなりと。

©931: 7 又云、近代の行人、観法をもちゐるにあたはず。もし仏像等を観ぜむは、運慶・康慶が所造にすぎじ。もし宝樹等を観ぜば、桜梅・桃李之花菓等にすぎじ。しかるに彼仏今現在成仏等の釈を信じて、一向に名号を称すべき也と云り。たゞ名号をとなふる、三心おのづから具足する也と云り。

©931:11 又云、念仏はやうなきをもてなり。名号をとなふるほか、一切やうなき事也と云り。

©931:13 又云、諸経の中にとくところの極楽の荘厳等は、みなこれ四十八願成就の文也。念仏を勧進するところは、第十八の願成就文なり。観経の三心、小経の一心不乱、大経の願成就の文の信心歓喜と、同流通の歓喜踊躍と、みなこれ至心信楽之心也と云り。これらの心をもて、念仏の三心を釈したまへる也と 云云

©932: 3 又云、玄義に云く、釈迦要門定散二善。定者息慮凝心なり、散者廃悪修善なりと。弘願者如大経説。一切善悪凡夫得生といへり。豫ごときはさきの要門にたえず、よてひとへに弘願を憑也と云り。

©932: 6 又云、導和尚、深心を釈せむがために余の二心を釈したまふ也。経の文の三心をみるに、一切行なし。深心の釈にいたりて、はじめて念仏の行をあかすところ也。

©932: 9 又云、往生の業成就、臨終・平生にわたるべし。本願の文に別にえらばざるがゆへにと云り。恵心のこゝろ、平生の見にわたる也と云へり。

©932:11 又云、往生の業成は、念をもて本とす。名号を称するは、念を成ぜむがため也。もし声はなるゝとき、念すなわち懈怠するがゆへに、常恒に称唱すればすなわち念相続す。心念の業、生をひくがゆへ也。

©932:14 又云、称名の行者、常途念仏のとき不浄をはゞかるべからず。相続を要とするがゆへに。如意輪の法は、不浄をはゞからず、弥陀・観音一体不二也。これをおもふに、善導の別時の行には、清浄潔斉をもちゐる、尋常の行、これにことなるべき歟。恵心の不論時処諸縁之釈、永観の不論身浄不浄之釈、さだめて存ずるところある歟と

©933: 4 又云、善導は第十八の願、一向に仏号を称念して往生すと云り。恵心のこゝろ、観念・称念等みなこれを摂すと云り。もし要集のこゝろによらば、行者においては、この名をあやまちてむ歟と。

©933: 7 又云、第十九の願は、諸行之人を引入して、念仏之願に帰せしめむと也。

©933: 8 又云、真実心といふは、行者願往生之心なり。矯飾なく、表裏なき相応の心也。雑毒虚仮等は、名聞利養の心也。

©933: 9 大品経云、捨利養名聞

©933: 9 大論に述此文之下云、当業捨雑毒者、一声一念猶具之、无実心之相也。翻内矯外者、仮令外相不法、内心真実願往生者、可遂往生也。 云云

©933:12 深心といふは、疑慮なき心也。利他真実者、得生之後利他門之相也。よてくはしく釈せずと。

©933:13 観无量寿経、若有衆生願生彼国者、発三種心即便往生す。何等為三。一者至誠心、二者深心、三者廻向発願心なり。具三心者必生彼国いへり。

©933:15 往生礼讃釈三心畢云、具此三心必得往生也。若少一心、即不得生。

©934: 2 然則尤可具三心也。

©934: 2 一至誠心者、真実心也。身行礼拝、口唱名号、意想相好、皆用実心。総而言之、厭離穢土、忻求浄土、修諸行業、皆以真実心可勤修之。

©934: 4 外現賢善精進之相、内懐愚悪懈怠之心。所修行業、日夜十二時无間行之、不得往生。外顕愚悪懈怠之形、内住賢善精進之念、修行之者、雖一時一念、其行不虚、必得往生。是名至誠心。

©934: 7 二深心者、深信之心也。付之有二。

©934: 8 一者信我是罪悪不善之身、无始已来輪廻六道、无往生縁。

©934: 9 二信雖罪人、以仏願力為強縁、得往生。无疑无慮。

©934:10 付此亦有二。一就人立信、二就行立信。

©934:10 就人立信者、出離生死道雖多、大分有二。一聖道門、二浄土門。

©934:11 聖道門者、於此娑婆世界、断煩悩証菩提道也。

©934:12 浄土門者、厭此娑婆世界、忻極楽修善根門也。

©934:13 雖有二門、閣聖道門帰浄土門。

©934:13 然若有人多引経論、罪悪凡夫不得往生、雖聞此語、不生退心、弥増信心。

©934:15 所以者何、罪障凡夫往生浄土釈尊誠言なり、非凡夫の妄説。我已信仏言、深忻求浄土。設諸仏・菩薩来、罪障凡夫言不生浄土、不可信之。

©935: 2 何以故。菩薩仏弟子。若実是菩薩者、不可乖仏説。然已違仏説、言不得往生。知非真菩薩。是故不可信。

©935: 4 また仏是同体大悲。実是仏者、不可違釈迦説。

©935: 5 然則阿弥陀経説、一日七日念阿弥陀仏名号、必得往生者、六方恒沙諸仏、同釈迦仏不虚証誠之。

©935: 6 然今背釈迦説、云不得往生。故知非真仏。是天魔変化。以是義故、不可依信。仏・菩薩説、尚以不可信、何況余説哉。

©935: 8 汝等所執、雖大小異同期仏果。穢土修行聖道意なり。我等所修正雑不同、共忻極楽。往生行業、浄土門意。聖道者是汝有縁行なり、浄土門者我有縁行なり。不可以此難彼、不可以彼難此。

©935:11 如是信ずる、是名就人立信。

©935:12 次就行立信者、往生極楽の行、雖区不出二種。一者正行、二者雑行なり。正行者於阿弥陀仏之親行也、雑行者於阿弥陀仏之疎行也。

©935:14 先正行者、付之有五。一謂読誦、謂読三部経也。二謂観極楽依正也。三礼拝、謂礼弥陀仏也。四称名、謂称弥陀名号也。五讃嘆供養、謂讃嘆供養阿弥陀仏也。

©936: 2 以此五合為二。

©936: 2 一者一心専念弥陀名号、行住座臥不問時節久近念念不捨者、是名正定之業、順彼仏願故。

©936: 3 二者先五中、除称名已外礼拝・読誦等、皆名助業。

©936: 4 次雑行者、除先五種正助二行已外諸読誦大乗・発菩提心・持戒・勧進行等一切行也。

©936: 6 付此正雑二行、有五種得失。

©936: 6 一親疎対、謂正行親阿弥陀仏、雑行疎阿弥陀仏。

©936: 7 二近遠対、謂正行近阿弥陀仏、雑行遠阿弥陀仏。

©936: 8 三有間无間対、謂正行係念无間、雑行係念間断。

©936: 8 四廻向不廻向対、謂正行不用廻向自為往生業、雑行不廻向時不為往生業。

©936:10 五純雑対、謂正行純往生極楽業也、雑行不爾、通十方浄土乃至人天業也。

©936:11 如此信者、名就行立信、是名深心。

©936:11 三廻向発願心者、過去及今生身口意業所修一切善根、以真実心廻向極楽、忻求往生也。

©936:14 又云、善導与恵心相違義事。善導色相等観法観仏三昧と云へり、称名念仏おば念仏三昧と云へり。恵心は称名・観法合して念仏三昧と云へり。

©937: 1 又云、余宗の人、浄土門にその志あらむには、先往生要集をもてこれをおしふべし。そのゆへは、この書はものにこゝろえて、難なきやうにその面をみえて、初心の人のためによき也。雖然真実の底の本意は、称名念仏をもて専修専念の勧進したまへり。善導と一同也。

©937: 5 又云、余宗の人、浄土宗にそのこゝろざしあらむものは、かならず本宗の意を棄べき也。そのゆへは、聖道・浄土の宗義各別なるゆへ也とのたまへり。