◗677: 1  一念多念文意

◗677: 5 【1】一念をひがごととおもふまじき事。

◗677: 6  恒願一切臨終時 勝縁勝境悉現前といふは、

◗677: 6 恒はつねにといふ、願はねがふといふなり。いまつねにといふは、たえぬこころなり、をりにしたがうて、ときどきもねがへといふなり。いまつねにといふは、常の義にはあらず。常といふは、つねなること、ひまなかれといふこころなり。ときとしてたえず、ところとしてへだてずきらはぬを常といふなり。

◗677:10 一切臨終時といふは、極楽をねがふよろづの衆生、いのちをはらんときまでといふことばなり。

◗677:12 勝縁勝境といふは、仏をもみたてまつり、ひかりをもみ、異香をもかぎ、善知識のすすめにもあはんとおもへとなり。

◗677:13 悉現前といふは、さまざまのめでたきことども、めのまへにあらはれたまへとねがへとなり。

◗677:15 【2】無量寿経のなかに、あるいは諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転と説きたまへり。

◗678: 2 諸有衆生といふは、十方のよろづの衆生と申すこころなり。

◗678: 2 聞其名号といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを聞といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。

◗678: 5 信心歓喜乃至一念といふは、信心は如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり。歓喜といふは、歓は身をよろこばしむるなり、喜はこころによろこばしむるなり。うべきことをえてんずとかねてさきよりよろこぶこころなり。乃至は、おほきをもすくなきをも、ひさしきをもちかきをも、さきをものちをも、みなかねをさむることばなり。一念といふは信心をうるときのきはまりをあらはすことばなり。

◗678:10 至心回向といふは、至心は真実といふことばなり、真実は阿弥陀如来の御こころなり。回向は本願の名号をもつて十方の衆生にあたへたまふ御のりなり。

◗678:12 願生彼国といふは、願生はよろづの衆生、本願の報土へ生れんとねがへとなり。彼国はかのくにといふ、安楽国ををしへたまへるなり。

◗678:14 即得往生といふは、即はすなはちといふ、ときをへず、日をもへだてぬなり。また即はつくといふ、その位に定まりつくといふことばなり。得はうべきことをえたりといふ。真実信心をうれば、すなはち無礙光仏の御こころのうちに摂取して捨てたまはざるなり。摂はをさめたまふ、取はむかへとると申すなり。をさめとりたまふとき、すなはち、とき・日をもへだてず、正定聚の位につき定まるを往生を得とはのたまへるなり。

◗679: 2 【3】しかれば、必至滅度の誓願を大経に説きたまはく、設我得仏 国中人天 不住定聚 必至滅度者 不取正覚と願じたまへり。

◗679: 8 また経にのたまはく、若我成仏 国中有情 若不決定 成等正覚 証大涅槃者 不取菩提と誓ひたまへり。

◗679: 9 この願成就を、釈迦如来説きたまはく、其有衆生 生彼国者 皆悉住於 正定之聚 所以者何 彼仏国中 無諸邪聚 及不定聚とのたまへり。

◗679:11 これらの文のこころは、たとひわれ仏を得たらんに、国のうちの人天、定聚にも住して、かならず滅度に至らずは、仏に成らじと誓ひたまへるこころなり。

◗679:14 またのたまはく、もしわれ仏に成らんに、国のうちの有情、もし決定して等正覚を成りて大涅槃を証せずは、仏に成らじと誓ひたまへるなり。

◗679:15 かくのごとく法蔵菩薩誓ひたまへるを、釈迦如来、五濁のわれらがために説きたまへる文のこころは、それ衆生あつて、かの国に生れんとするものは、みなことごとく正定の聚に住す。ゆゑはいかんとなれば、かの仏国のうちにはもろもろの邪聚および不定聚はなければなりとのたまへり。

◗680: 4 この二尊の御のりをみたてまつるに、すなはち往生すとのたまへるは、正定聚の位に定まるを不退転に住すとはのたまへるなり。

◗680: 6 この位に定まりぬれば、かならず無上大涅槃にいたるべき身となるがゆゑに、等正覚を成るとも説き、阿毘跋致にいたるとも、阿惟越致にいたるとも説きたまふ。即時入必定とも申すなり。

◗680:10 【4】この真実信楽は他力横超の金剛心なり。

◗680:10 しかれば、念仏のひとをば大経には次如弥勒と説きたまへり。

◗680:11 弥勒は、竪の金剛心の菩薩なり。竪と申すはたたさまと申すことばなり。これは聖道自力の難行道の人なり。横はよこさまにといふなり、超はこえてといふなり。これは、仏の大願業力の船に乗じぬれば、生死の大海をよこさまにこえて、真実報土の岸につくなり。

◗680:14 次如弥勒と申すは、次はちかしといふ、つぎにといふ。ちかしといふは、弥勒は大涅槃にいたりたまふべきひとなり。このゆゑに弥勒のごとしとのたまへり。念仏信心の人も大涅槃にちかづくとなり。つぎにといふは、釈迦仏のつぎに、五十六億七千万歳をへて妙覚の位にいたりたまふべしとなり。

◗681: 3 如はごとしといふ。ごとしといふは、他力信楽のひとは、この世のうちにて不退の位にのぼりて、かならず大般涅槃のさとりをひらかんこと、弥勒のごとしとなり。

◗681: 6 【5】浄土論にいはく、経言 若人但聞彼国土 清浄安楽 剋念願生 亦得往生 即入正定聚 此是国土名字為仏事 安可思議とのたまへり。

◗681: 8 この文のこころは、もしひと、ひとへにかの国の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生れんと願ふひとと、またすでに往生を得たるひとも、すなはち正定聚に入るなり。これはこれ、かの国の名字を聞くに、さだめて仏事をなす。いづくんぞ思議すべきやとのたまへるなり。

◗681:12 安楽浄土の不可称不可説不可思議の徳を、もとめず、しらざるに、信ずる人に得しむとしるべしとなり。

◗681:14 【6】また王日休のいはく、念仏衆生便同弥勒といへり。

◗681:15 念仏衆生は、金剛の信心をえたる人なり。

◗681:15 便はすなはちといふ、たよりといふ。信心の方便によりて、すなはち正定聚の位に住せしめたまふがゆゑにとなり。

◗682: 2 同はおなじきなりといふ。念仏の人は無上涅槃にいたること、弥勒におなじきひとと申すなり。

◗682: 4 【7】また経にのたまはく、若念仏者 当知此人 是人中 分陀利華とのたまへり。

◗682: 5 若念仏者と申すは、もし念仏せんひとと申すなり。

◗682: 6 当知此人是人中分陀利華といふは、まさにこのひとはこれ、人中の分陀利華なりとしるべしとなり。これは如来のみことに、分陀利華を念仏のひとにたとへたまへるなり。

◗682: 8 この華は、人中の上上華なり、好華なり、妙好華なり、希有華なり、最勝華なりとほめたまへり。

◗682: 9 光明寺の和尚の御釈には、念仏の人をば、上上人・好人・妙好人・希有人・最勝人とほめたまへり。

◗682:12 【8】また現生護念の利益ををしへたまふには、但有専念 阿弥陀仏衆生 彼仏心光 常照是人 摂護不捨 総不論照摂 余雑業行者 此亦是 現生護念 増上縁とのたまへり。

◗682:14 この文のこころは、但有専念阿弥陀仏衆生といふは、ひとすぢに弥陀仏を信じたてまつると申す御ことなり。

◗683: 1 彼仏心光と申すは、彼はかれと申す。仏心光と申すは、無礙光仏の御こころと申すなり。

◗683: 2 常照是人といふは、常はつねなること、ひまなくたえずといふなり。照はてらすといふ。ときをきらはず、ところをへだてず、ひまなく真実信心のひとをばつねにてらしまもりたまふなり。かの仏心につねにひまなくまもりたまへば、弥陀仏をば不断光仏と申すなり。是人といふは、是は非に対することばなり。真実信楽のひとをば是人と申す。虚仮疑惑のものをば非人といふ。非人といふは、ひとにあらずときらひ、わるきものといふなり。是人はよきひとと申す。

◗683: 8 摂護不捨と申すは、摂はをさめとるといふ。護はところをへだてず、ときをわかず、ひとをきらはず、信心ある人をばひまなくまもりたまふとなり。まもるといふは、異学・異見のともがらにやぶられず、別解・別行のものにさへられず、天魔波旬にをかされず、悪鬼・悪神なやますことなしとなり。不捨といふは、信心のひとを、智慧光仏の御こころにをさめまもりて、心光のうちに、ときとして捨てたまはずとしらしめんと申す御のりなり。

◗683:14 総不論照摂余雑業行者といふは、総はみなといふなり。不論はいはずといふこころなり。照摂はてらしをさむと。余の雑業といふは、もろもろの善業なり。雑行を修し、雑修をこのむものをば、すべてみなてらしをさむといはずと、まもらずとのたまへるなり。これすなはち本願の行者にあらざるゆゑに、摂取の利益にあづからざるなりとしるべしとなり。この世にてまもらずとなり。

◗684: 4 此亦是現生護念といふは、この世にてまもらせたまふとなり。本願業力は、信心のひとの強縁なるがゆゑに、増上縁と申すなり。

◗684: 6 信心をうるをよろこぶ人をば、経には諸仏とひとしきひとと説きたまへり。

◗684: 8 【9】首楞厳院の源信和尚のたまはく、我亦在彼 摂取之中 煩悩障眼 雖不能見 大悲無倦 常照我身と。

◗684: 9 この文のこころは、われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩まなこをさへて、みたてまつるにあたはずといへども、大悲ものうきことなくして、つねにわが身を照らしたまふとのたまへるなり。

◗684:13 【10】其有得聞彼仏名号といふは、本願の名号を信ずべしと、釈尊説きたまへる御のりなり。

◗684:14 歓喜踊躍乃至一念といふは、歓喜はうべきことをえてんずと、さきだちてかねてよろこぶこころなり。踊は天にをどるといふ、躍は地にをどるといふ。よろこぶこころのきはまりなきかたちなり。慶楽するありさまをあらはすなり。慶はうべきことをえてのちによろこぶこころなり、楽はたのしむこころなり。これは正定聚の位をうるかたちをあらはすなり。

◗685: 4 乃至は、称名の遍数の定まりなきことをあらはす。一念は功徳のきはまり、一念に万徳ことごとくそなはる、よろづの善みなをさまるなり。

◗685: 6 当知此人といふは、信心のひとをあらはす御のりなり。

◗685: 6 為得大利といふは、無上涅槃をさとるゆゑに、則是具足無上功徳とものたまへるなり。則といふは、すなはちといふ、のりと申すことばなり。如来の本願を信じて一念するに、かならずもとめざるに無上の功徳を得しめ、しらざるに広大の利益を得るなり。自然にさまざまのさとりをすなはちひらく法則なり。法則といふは、はじめて行者のはからひにあらず、もとより不可思議の利益にあづかること、自然のありさまと申すことをしらしむるを、法則とはいふなり。一念信心をうるひとのありさまの自然なることをあらはすを、法則とは申すなり。

◗685:14 【11】経に無諸邪聚及不定聚といふは、無はなしといふ。諸はよろづのことといふことばなり。邪聚といふは、雑行雑修万善諸行のひと、報土にはなければなりといふなり。及はおよぶといふ。不定聚は、自力の念仏、疑惑の念仏の人は、報土になしといふなり。正定聚の人のみ真実報土に生るればなり。

◗686: 4  この文どもは、これ一念の証文なり。おもふほどはあらはしまうさず。これにておしはからせたまふべきなり。

◗686: 6 【12】多念をひがごととおもふまじき事。

◗686: 7  本願の文に、乃至十念と誓ひたまへり。すでに十念と誓ひたまへるにてしるべし、一念にかぎらずといふことを。いはんや乃至と誓ひたまへり。称名の遍数さだまらずといふことを。この誓願は、すなはち易往易行のみちをあらはし、大慈大悲のきはまりなきことをしめしたまふなり。

◗686:11 【13】阿弥陀経に、一日乃至七日、名号をとなふべしと、釈迦如来説きおきたまへる御のりなり。

◗686:12 この経は無問自説経と申す。この経を説きたまひしに、如来に問ひたてまつる人もなし。

◗686:13 これすなはち釈尊出世の本懐をあらはさんとおぼしめすゆゑに、無問自説と申すなり。

◗686:14 弥陀選択の本願、十方諸仏の証誠、諸仏出世の素懐、恒沙如来の護念は、諸仏咨嗟の御ちかひをあらはさんとなり。

◗687: 2 【14】諸仏称名の誓願、大経にのたまはく、設我得仏 十方世界 無量諸仏 不悉咨嗟 称我名者 不取正覚と願じたまへり。

◗687: 3 この悲願のこころは、たとひわれ仏を得たらんに、十方世界無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは、仏に成らじと誓ひたまへるなり。

◗687: 5 咨嗟と申すは、よろづの仏にほめられたてまつると申す御ことなり。

◗687: 7 【15】一心専念といふは、一心は金剛の信心なり。専念は一向専修なり。一向は、余の善にうつらず、余の仏を念ぜず。専修は、本願のみなをふたごころなくもつぱら修するなり。修は、こころの定まらぬをつくろひなほし、おこなふなり。専はもつぱらといふ、一といふなり。もつぱらといふは、余善・他仏にうつるこころなきをいふなり。

◗687:11 行住座臥不問時節久近といふは、行はあるくなり、住はたたるなり、座はゐるなり、臥はふすなり。不問はとはずといふなり。時はときなり、十二時なり。節はときなり、十二月、四季なり。久はひさしき、近はちかしとなり。ときをえらばざれば不浄のときをへだてず、よろづのことをきらはざれば不問といふなり。

◗688: 1 是名正定之業順彼仏願故といふは、弘誓を信ずるを、報土の業因と定まるを、正定の業となづくといふ、仏の願にしたがふがゆゑにと申す文なり。

◗688: 4 【16】一念多念のあらそひをなすひとをば、異学・別解のひとと申すなり。

◗688: 4 異学といふは、聖道・外道におもむきて、余行を修し、余仏を念ず、吉日良辰をえらび、占相祭祀をこのむものなり。これは外道なり、これらはひとへに自力をたのむものなり。

◗688: 7 別解は、念仏をしながら他力をたのまぬなり。別といふは、ひとつなることをふたつにわかちなすことばなり。解はさとるといふ、とくといふことばなり。念仏をしながら自力にさとりなすなり。かるがゆゑに別解といふなり。

◗688:10 また助業をこのむもの、これすなはち自力をはげむひとなり。自力といふは、わが身をたのみ、わがこころをたのむ、わが力をはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。

◗688:13 【17】上尽一形といふは、上はかみといふ、すすむといふ、のぼるといふ、いのちをはらんまでといふ。尽はつくるまでといふ。形はかたちといふ、あらはすといふ。念仏せんこといのちをはらんまでとなり。

◗689: 1 十念・三念・五念のものもむかへたまふといふは、念仏の遍数によらざることをあらはすなり。

◗689: 2 直為弥陀弘誓重といふは、直はただしきなり、如来の直説といふなり。諸仏の世に出でたまふ本意と申すを直説といふなり。為はなすといふ、もちゐるといふ、さだまるといふ、かれといふ、これといふ、あふといふ。あふといふは、かたちといふこころなり。重はかさなるといふ、おもしといふ、あつしといふ。誓願の名号、これをもちゐさだめなしたまふことかさなれりとおもふべきことをしらせんとなり。

◗689: 8 【18】しかれば、大経には、如来所以 興出於世 欲拯群萌 恵以真実之利とのたまへり。

◗689: 9 この文のこころは、如来と申すは諸仏を申すなり。所以はゆゑといふことばなり。興出於世といふは、仏の世に出でたまふと申すなり。

◗689:11 欲はおぼしめすと申すなり。拯はすくふといふ。群萌はよろづの衆生といふ。恵はめぐむと申す。真実之利と申すは弥陀の誓願を申すなり。

◗689:13 しかれば、諸仏の世々に出でたまふゆゑは、弥陀の願力を説きて、よろづの衆生を恵み拯はんと欲しめすを、本懐とせんとしたまふがゆゑに、真実之利とは申すなり。しかれば、これを諸仏出世の直説と申すなり。

◗690: 1 おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ、これを仮門となづけたり。

◗690: 2 この要門・仮門といふは、すなはち無量寿仏観経一部に説きたまへる定善・散善これなり。定善は十三観なり、散善は三福九品の諸善なり。これみな浄土方便の要門なり、これを仮門ともいふ。

◗690: 5 この要門・仮門より、もろもろの衆生をすすめこしらへて、本願一乗円融無礙真実功徳大宝海にをしへすすめ入れたまふがゆゑに、よろづの自力の善業をば方便の門と申すなり。

◗690: 7 いま一乗と申すは、本願なり。円融と申すは、よろづの功徳善根みちみちて、かくることなし、自在なるこころなり。無礙と申すは、煩悩悪業にさへられず、やぶられぬをいふなり。真実功徳と申すは名号なり。一実真如の妙理、円満せるがゆゑに、大宝海にたとへたまふなり。

◗690:11 一実真如と申すは無上大涅槃なり。涅槃すなはち法性なり、法性すなはち如来なり。宝海と申すは、よろづの衆生をきらはず、さはりなく、へだてず、みちびきたまふを、大海の水のへだてなきにたとへたまへるなり。

◗690:13 この一如宝海よりかたちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて、無礙のちかひをおこしたまふをたねとして、阿弥陀仏となりたまふがゆゑに、報身如来と申すなり。これを尽十方無礙光仏となづけたてまつれるなり。この如来を、南無不可思議光仏とも申すなり。

◗691: 2 この如来を、方便法身とは申すなり。方便と申すは、かたちをあらはし、御なをしめして、衆生にしらしめたまふを申すなり。すなはち阿弥陀仏なり。この如来は光明なり、光明は智慧なり、智慧はひかりのかたちなり。智慧またかたちなければ不可思議光仏と申すなり。この如来、十方微塵世界にみちみちたまへるがゆゑに、無辺光仏と申す。しかれば、世親菩薩は尽十方無礙光如来となづけたてまつりたまへり。

◗691: 8 【19】浄土論にいはく、観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海とのたまへり。

◗691: 9 この文のこころは、仏の本願力を観ずるに、まうあうてむなしくすぐるひとなし。よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむとのたまへり。

◗691:11 観は願力をこころにうかべみると申す、またしるといふこころなり。遇はまうあふといふ。まうあふと申すは、本願力を信ずるなり。無はなしといふ。空はむなしくといふ。過はすぐるといふ。者はひとといふ。むなしくすぐるひとなしといふは、信心あらんひと、むなしく生死にとどまることなしとなり。

◗691:14 能はよくといふ。令はせしむといふ、よしといふ。速はすみやかにといふ、ときことといふなり。満はみつといふ。足はたりぬといふ。功徳と申すは名号なり。大宝海はよろづの善根功徳満ちきはまるを海にたとへたまふ。この功徳をよく信ずるひとのこころのうちに、すみやかに疾く満ちたりぬとしらしめんとなり。しかれば、金剛心のひとは、しらず、もとめざるに、功徳の大宝その身にみちみつがゆゑに、大宝海とたとへたるなり。

◗692: 7 【20】致使凡夫念即生といふは、

◗692: 7 致はむねとすといふ。むねとすといふは、これを本とすといふことばなり。いたるといふ。いたるといふは、実報土にいたるとなり。使はせしむといふ。凡夫はすなはちわれらなり。本願力を信楽するをむねとすべしとなり。念は如来の御ちかひをふたごころなく信ずるをいふなり。即はすなはちといふ、ときをへず、日をへだてず、正定聚の位に定まるを即生といふなり。生はうまるといふ。これを念即生と申すなり。

◗692:13 また即はつくといふ。つくといふは、位にかならずのぼるべき身といふなり。世俗のならひにも、国の王の位にのぼるをば即位といふ。位といふはくらゐといふ。これを東宮の位にゐるひとはかならず王の位につくがごとく、正定聚の位につくは東宮の位のごとし。王にのぼるは即位といふ。これはすなはち無上大涅槃にいたるを申すなり。信心のひとは正定聚にいたりて、かならず滅度に至ると誓ひたまへるなり。これを致とすといふ。むねとすと申すは、涅槃のさとりをひらくをむねとすとなり。

◗693: 5 凡夫といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。かかるあさましきわれら、願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば、無礙光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふがゆゑに、かならず安楽浄土へいたれば、弥陀如来とおなじく、かの正覚の華に化生して大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。これを致使凡夫念即生と申すなり。

◗693:12 二河のたとへに、一分二分ゆくといふは、一年二年すぎゆくにたとへたるなり。

◗693:13 諸仏出世の直説、如来成道の素懐は、凡夫は弥陀の本願を念ぜしめて即生するをむねとすべしとなり。

◗693:15 【21】今信知 弥陀本弘誓願 及称名号といふは、如来のちかひを信知すと申すこころなり。

◗694: 1 信といふは金剛心なり。知といふはしるといふ、煩悩悪業の衆生をみちびきたまふとしるなり。また知といふは観なり。こころにうかべおもふを観といふ、こころにうかべしるを知といふなり。

◗694: 4 及称名号といふは、及はおよぶといふ。およぶといふはかねたるこころなり。称は御なをとなふるとなり。また称ははかりといふこころなり。はかりといふはもののほどを定むることなり。名号を称すること、十声・一声、きくひと、疑ふこころ一念もなければ、実報土へ生ると申すこころなり。

◗694: 8 また阿弥陀経の七日もしは一日、名号をとなふべしとなり。

◗694:10 【22】これは多念の証文なり。おもふやうには申しあらはさねども、これにて、一念多念のあらそひあるまじきことは、おしはからせたまふべし。

◗694:11 浄土真宗のならひには、念仏往生と申すなり、まつたく一念往生・多念往生と申すことなし。これにてしらせたまふべし。

◗694:14  南無阿弥陀仏

◗694:15  ゐなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき愚痴きはまりなきゆゑに、やすくこころえさせんとて、おなじことを、とりかへしとりかへし書きつけたり。こころあらんひとは、をかしくおもふべし、あざけりをなすべし。しかれども、ひとのそしりをかへりみず、ひとすぢに愚かなるひとびとを、こころえやすからんとてしるせるなり。

◗695: 6  康元二歳丁巳二月十七日
  愚禿親鸞八十五歳これを書く。