真仏房 (1209-1258) 「交名牒」 によると、 下野しもつけたか (現在の栃木県芳賀郡二宮町) の住。 専修せんじゅの第二代。 その門下は東国からおうしゅう遠江とうとうみかわに及び、 高田門徒と呼ばれ、 後の専修寺教団の基礎を築いた。