興福寺 法相ほっそうしゅう本山。 南都七大寺の一で、 南都教学の中心的存在として栄えた。 元久二年 (1205) 十月、 「興福こうぶく僧綱そうごうだいほうとう」 の言として源空聖人の専修せんじゅ念仏に対して過失九箇条を挙げて論難し、 処罰を求めた。 これを 「興福寺そうじょう」 という。