ゆいぜん 唯善 (1266-1317) 覚信尼小野宮禅念の子。 親鸞の孫で、 覚恵の異父弟。 大納言阿闍梨弘雅と号した。 はじめ真言を学び、 修験道も修めたが、 のちに常陸国河和田かわだ唯円のもとで学び真宗帰依した。 その後、 覚恵に招かれて京都大谷に住したが、 大谷廟堂留守るすしきをめぐり覚恵、 覚如父子と争い、 延慶2年 (1309) に敗退した。 その際、 ひそかに親鸞の影像と遺骨を奪取して、 相模国鎌倉 (現在の神奈川県鎌倉市) に逐電し、 西光院 (後の常敬寺) を開いた。