やましなほんがんじ 山科本願寺 蓮如が山科郷野村 (現在の京都市山科区西野一帯) に建立した本願寺のこと。 寛正6年 (1465)、 延暦寺しゅによって大谷本願寺が破却 (かんしょうの法難) された後、 蓮如は近畿・北陸の地を転々としていたが、 文明10年 (1478)、 山科を本願寺再建の地と定め、 文明12年 (1480) には影堂えいどうが完成するなど本願寺の再興をなしとげた。 ¬御一代記聞書¼ 第199条などでは山科本願寺は野村殿と呼ばれている。 山科が本願寺再興の地として選ばれたのは、 近江国かねがもり善従の勧めによるとも、 野村の年寄りである海老名五郎左衛門入道浄乗の召請によるともいわれる。 その後、 山科本願寺は繁栄をきわめたが、 天文元年 (1532)、 細川春元の意を受けた六角定頼と日蓮宗徒に攻められて焼失し、 本願寺の寺基は大坂へ移された。 山科本願寺の跡地には蓮如・実如証如の墓があるのみで荒廃したが、 享保17年 (1732)、 本願寺15代住如本願寺派北山別院本堂を移築し、 本願寺派の山科別院 (京都市山科区東野狐薮町) として再興した。 また同年、 大谷派17代真如東本願寺境内にあった長福寺を移築し、 大谷派の山科別院 (京都市山科区竹鼻サイカシ町) として再興した。