とくにょ 徳如 (1826-1868) 河内国久宝寺 (現在の大阪府八尾市) 顕正寺の摂真の長男として生まれる。 童名は実枝丸。 天保12年 (1841)、 得度して諱は沢潤、 法名を広淳とした。 その後、 弘化4年 (1847)、 本願寺20代広如嗣法となり、 諱は光威、 法名を徳如と改めた。 幕府の変革期に広如を補佐したが、 慶応4年に43歳で示寂した。 諡は信歓院。