ちどう 智洞 (1736-1804) 本願寺派第7代能化。 院号は応現院。 浄教寺 (京都市) 住職。 幼少より僧樸に師事した。 明和の法論において功存らとともに智暹と対論している。 寛政9年 (1797)、 能化職に任じられた。 功存をうけて三業安心を主張したことから三業惑乱の当事者となったが、 仏教典籍の捜索と目録作成に尽力するなど、 学事方面の功績は大きい。 著書に ¬龍りゅう谷こく学黌現存書籍目録¼ などがある。