しゅうりょう 秀量 (1829-1891) 誠照寺派25代。 但馬国村岡 (現在の兵庫県香美町) の領主山名義蕃の子。 義質と称した。 天保15年 (1844)、 24代秀観が法嗣不在のまま示寂したため、 中納言西園寺寛季の猶子となり、 弘化2年 (1845) に誠じょう照しょう寺じに入寺して継職した。 文久2年 (1862)、 火災により本堂、 御影堂を失った。 明治2年 (1869)、 寺務を秀源に譲った。