しゅうかん 秀諴 (1642-1691) 誠照寺派15代。 福井藩士太田資武の子。 教団の教学や儀礼、 組織の整備に尽力し、 中興上人とも称される。 3代如覚のものとされる教章・教書を増補し、 寺法を改めて寺格を定め、 門侶を本願寺派知空のもとに遊学させるなどした。 貞享4年 (1687) には長らく仮堂であった御影堂を再建した。