しゅうじつ 秀実 (1732-1806) 誠照寺派20代。 二位萩原兼武の子。 院号は大慈院。 寛保3年 (1743)、 19代秀憲が法嗣不在のまま示寂したため、 西園寺公晃の猶子となって誠照じょうしょう寺じに入寺し継職した。 宝暦6年 (1756) の洪鐘おおがね鋳造をはじめ寺域の整備につとめるとともに、 寺法諸式を改正するなどした。