しょうくう 性空 平安中期の僧。 播磨国書写山円教寺 (現、 姫路市) の開山、 書写上人の名で知られる。 橘善根の子。 10歳で ¬法華経¼ を受持して生涯変わらなかったという。 28歳の年に父を失い、 日向国に下ったが、 36歳で比叡山に登り良源を師として剃髪受戒した。 その後九州の霧島山や脊振山など諸名山を巡って修行を重ね、 康保三 (966) 年、 57歳で書写山に登って円教寺を開いた。 在世中かそれに近い時期に書かれた ¬性空上人伝¼ は、 種々の潤色を加えて広まり、 数多くの説話が伝えられている。 また ¬撰集抄¼ ¬十訓抄¼ などには、 普賢菩薩を念ずる性空が、 生身の普賢を見たければ神崎の遊女の長者を見よという夢告を得て神崎に赴き、 遊女の長者に会って面前で目を閉じると普賢が見えて法文を説いたが、 目を開くと面前の遊女の長者がこのことを他言するなと戒めた、 という説話がある。