しんち 真智 (1504-1582) 常磐井宮恒直親王の子。 後柏原天皇の第三皇子ともいわれる。 永正8年 (1511)、 高田派10代しんの後継として下野国高田専修せんじゅに入寺し、 伊勢国一身田の無量寿院 (現在の高田派本山専修寺) を拠点とした。 永正9年 (1512) に真慧が示寂すると、 その後継の座を真慧の子、 応真と争うこととなり、 応真の没後、 その養子堯慧が伊勢国に進出すると、 無量寿院を退去した。 その後、 三河国を経て、 越前国の門徒に迎えられ、 天正8年 (1580) に熊坂 (現在の福井県あわら市) に一寺を建立して専修寺 (現在の法雲寺) と号した。