しんいに 真意尼 (1850-1924) 仏光寺派27代。 25代真達の妻。 諱は光子、 院号は微妙定院。 明治21年 (1888)、 26代家教の退職に際し、 法嗣真空が幼少であったため継職した。 明治37年 (1904)、 本堂を再建した。 特に女性の教きょう化けに尽くした。 明治38年 (1905)、 寺務を真空に譲った。