しもつまらいしゅう 下間頼秀 (-1538) 下間氏の一族で本願寺に仕えた。 法名は実玄、 実慧、 実英。 筑前守と称した。 武将として活躍し、 享禄4年 (1531) の享禄の錯乱 (大小一揆) では、 大一揆を支援して加賀国若松本泉寺など加賀三箇寺を攻撃した。 畿内で細川春元と対立し、 天文元年 (1532) の山科本願寺焼亡などにより失脚し、 やがて暗殺された。