おおたにかずこ 大谷籌子 (1882-1911) 本願寺派における仏教婦人会活動や女性教育の先駆者。 本願寺22代鏡如の妻。 九条道孝の三女。 法名は如性、 院号は光顔院。 明治31年 (1898) に鏡如と結婚した。 明治40年 (1907)、 本願寺に設置された仏教婦人会連合本部の総裁に就任し、 大谷武子 (九条武子) らとともに全国の仏教婦人会の統率に尽力した。 女子高等文芸学校 (現在の千代田女学園) や相愛女学校 (現在の相愛学園) の設立に関わり、 特に京都高等女学校 (現在の京都女子学園) の創立に尽くして明治43年 (1910) に同校の名誉校長に就いた。