もんぜき 門跡 出家した皇族や摂家子息などの寺院に与えられた称号。 もとは一門の祖師の跡を継ぐ者、 または祖師の遺跡を指す語であったが、 中世には皇族・貴族の住持する寺院のことを門跡と呼ぶようになり、 寺格を表す称号となっていった。 江戸時代には皇族が住持をつとめる宮門跡、 摂関家の子弟が住持する摂家門跡、 この二つに准ずる准門跡などの制度が整えられた。 この制は明治4年 (1871) に廃止され、 以後は私称する寺院もある。 本願寺は永禄2年 (1559)、 11代顕如の時に門跡寺院に列せられ、 門跡寺院の通例として坊官院家を設けた。 永禄12年 (1569) には興正寺が脇門跡に列せられた。