もんにょ 文如 (1744-1799) 本願寺18代。 法如の長男。 童名は初め完千代満と呼ばれ、 後に幸君と改められた。 諱は光暉、 諡は信入院。 幼少より病弱であったが、 書道・詩歌・雅楽・声明しょうみょう・絵画・茶道等に造詣が深かった。 父法如を補佐し、 寛政元年 (1789) 法如の示寂により46歳で継職した。 寛政10年 (1798) に蓮如300回忌を勤修ごんしゅした。 寛政11年、 56歳で示寂した。