こうしょうじ 興正寺 興正派本山。 京都市下京区花園町。 文明14年 (1482)、 仏光寺14代経豪が蓮如帰依して蓮教と改名し、 山科やましなに一寺を建立したことに始まる。 蓮教の子蓮秀証如を補佐するなどいっしゅとして活躍し、 興正寺の地位を高めた。 天文元年 (1532)、 兵火により山科の坊舎を失った。 永禄10年 (1567)、 顕如の第二子顕尊を養子として迎え入れ、 永禄12年 (1569)、 本願寺脇門跡となった。 天正19年 (1591)、 本願寺の京都六条堀川への移転にともない、 寺基を現在の地に移した。 本願寺の東西分派の後は本願寺派に属したが、 しばしば別派独立を試みて西本願寺と対立した。 明治9年 (1876)、 真宗四派の大教院分離に際し、 本願寺派より独立して興正派の本山となった。