かろくのほうなん 嘉禄の法難 嘉禄3年 (1227) に専修念仏者に加えられた弾圧のこと。 その契機は、 天台僧定照が ¬弾選択¼ を著して法然の ¬選択集¼ を批判したのに対して、 隆寛が ¬顕選択¼ を著して反論したこととされる。 比叡山の僧徒は大谷にあった法然の墓堂を破却したが、 法然の遺体は門弟たちにより嵯峨 (京都市右京区) へ移されて、 翌年、 粟生で荼毘に付された。 この弾圧で、 隆寛、 幸西らが流罪となり専修念仏が禁止されたほか、 40数名が逮捕され、 ¬選択集¼ の版木が焼却されたという。