かきょう 家教 (1862-1923) 仏光寺派26代。 伏見宮邦家親王の子。 院号は得清浄院。 慶応2年 (1866) に法嗣となり、 明治6年 (1873) に継職した。 明治17年 (1884)、 御影堂を再建した。 明治21年 (1888)、 寺務を真意尼 (25代真達妻) に譲って伏見宮家に復帰した。 その後、 和歌山県などの知事、 貴族院議員などを務めた。