じゅうにょ 従如 (1720-1760) 大谷派18代。 16代一如の孫。 童名は季丸、 諱は性慧、 後に光超と改めた。 愚川などと号した。 院号は清浄光院。 17代真如が示寂してまもなく法嗣融如が没したため、 延享元年 (1744) に継職した。 延享2年 (1745)、 幕府から寄進をうけて東大谷 (大谷祖廟) の敷地を拡大した。 宝暦4年 (1754)、 渉成園にあった学寮を高倉通魚棚に移した。