じゅんしゅう 准秀 (1607-1660) 興正派19代。 18代准尊の子。 諱は昭超、 院号は寂静院。 子に随如 (仏光寺20代)、 円尊 (延寿寺月感の養子) などがいる。 承応2年 (1653) の承応のげきしょうでは、 月感に与して本願寺13代良如を批判したが、 明暦元年 (1655)、 幕府の裁定により越後国今町 (現在の新潟県見附市) に逼塞ひっそくし、 のち興正寺てん別院に隠居した。