じゅんにょ 准如 (1577-1630) 本願寺12代。 顕如の第四子。 童名は阿茶、 諱は光昭、 号して理光院ともいう。 初め本行寺に住したが、 文禄2年 (1593)、 豊臣秀吉の裁断により教如に代わって本願寺の寺務を継ぎ宗主となった。 在職中、 津村別院、 浜町別院 (現在の築地本願寺) などを設立して教団の地方教化の体制を整えた。 慶長7年 (1602) には ¬浄土文類聚鈔¼ を開版した。 慶長元年 (1596) の大地震や元和3年 (1617) の火災に際し、 被害を受けた本願寺堂舎復興に取り組んでいる。 また、 慶長8年 (1603)、 幕府の命によって大谷本廟を現在の地に移転させた。 寛永7年、 54歳で示寂した。 諡号は信光院。