じょうにょ 乗如 (1744-1792) 大谷派19代。 17代真如の第八子。 諱は光遍、 愚船などと号した。 院号は歓喜光院。 宝暦10年 (1760) に継職した。 宝暦11年 (1761)、 親鸞500回忌を勤修ごんしゅした。 また、 全国で 「浄土真宗」 の宗名が用いられるよう、 本願寺派などとともに幕府に求めた (宗名事件)。 天明8年 (1788)、 天明の大火により本堂や御影堂を失ったが、 寛政元年 (1789)、 その再建に着手した。