じつにょ 実如 (1458-1525) 本願寺9代。 蓮如の第八子 (第五男)。 童名は光養丸、 諱は光兼、 号して教恩院ともいう。 蓮如の長男順如が継職を辞退したことから、 応仁2年 (1468) 11歳で譲状ゆずりじょうを受けた。 延徳元年 (1489)、 蓮如が引退した跡をうけて、 32歳で継職した。 応永3年 (1506) に、 細川政元に味方する出兵要請を全国門徒に発したところ、 摂津国河内国の門徒が反発し、 実如の弟、 実賢宗主擁立を図ったので、 その首謀者を討伐した。 これ以後、 戦乱への介入を避け、 父蓮如の残した御文章によるきょうを進め、 その教えを実直に守った。 また、 第三子円如の協力をえて、 御文章80通を5帖に整理し教義の確立につとめ、 三箇条掟、 一門一家衆を定めるなど教団体制の整備にも尽力した。 大永5年、 68歳で示寂した。