いちにょ 一如 (1649-1700) 大谷派16代。 童名は利与丸、 院号は無礙光院。 14代啄如の四男で、 15代常如の弟。 延宝6年 (1678)、 常如の法嗣となって諱を光海、 法名を一如とし、 愚山と号した。 延宝7年 (1679) に継職し、 元禄12年 (1699) には東大谷 (大谷祖廟) の整備に着手した。