ほうりん 法琳 (572-640) 中国隋・唐代の護法僧。 俗姓は陳氏。 頴川郡 (現在の河南省許州) の出身。 幼時に出家し、 儒仏二道に通じていた。 武徳4年 (621)、 道士傅奕が寺塔を整理して国と民とを利するよう高祖に進言すると、 ただちに上書して反論し、 ¬破邪論¼ 2巻を著した。 以後も ¬弁正論¼ 8巻を撰して道教の非を唱え、 仏教擁護の論陣を張ったが、 貞観13年 (639) 道士秦世英が、 ¬弁正論¼ は国家を誹謗するものであると進言したため、 益州に配され、 翌年病没した。