ほうにょ 法如 (1707-1789) 本願寺17代。 良如の第十子である本徳寺寂円の第二子として生まれる。 童名は春千代。 享保5年 (1720)、 顕証寺 (大阪府八尾市) に入寺し、 諱は常剛、 法名を寂峯と称したが、 本願寺16代湛如の継嗣であった静如の引退にともない、 寛保3年 (1743)、 本願寺の寺務を継ぎ、 諱は光闡、 法名を法如と改めた。 宝暦10年 (1760)、 阿弥陀堂を再建し、 翌11年、 親鸞500回忌を勤修ごんしゅした。 明和3年 (1766) ¬真宗法要¼ を本願寺蔵版として刊行した。 その他、 明和の法論宗名事件などへの対応や各地の別院の整備に尽力した。 寛政元年、 83歳で示寂した。 諡号は信慧院。