ほうこう 法高 (1737-1795) 興正派24代。 23代寂聴の子。 諱は闡揚、 院号は平等心院。 天明7年 (1787) に継職した。 当時、 興正寺は本願寺派に属しており、 本末関係をめぐり本願寺との対立と和解を繰り返した。 寛政元年 (1789) に 「真宗安心決正消息」 を記し、 当時の学林で正統とされてきた願生帰命、 三業帰命説を批判している。 →三業惑乱。