ぎょうちょう 堯朝 (1615-1646) 高田派15代。 14代堯秀の子。 院号は教授院。 寛永18年 (1641) に継職した。 正保3年 (1646)、 父堯秀が大僧正位を得たことに関して江戸幕府に咎められ、 罪を負って江戸で割腹したという。 このとき幕府は、 専修せんじゅ所蔵の親鸞真筆を献上するよう要求し、 これを拒んだとも伝えられる。