ぎょうにょ 巧如 (1376-1440) 本願寺6代。 綽しゃく如にょの第二子。 童名は光太麿 (光多賀麿)、 諱は玄康、 号して証定閣ともいう。 綽如の示寂後に継職し、 主に北陸から越後にかけて教線を拡大し、 聖教しょうぎょうを書写して門弟に授与している。 永享8年 (1436)、 長男存如に譲状を書き、 永享12年、 65歳で示寂した。