げんにょ 現如 (1852-1923) 大谷派22代。 21代厳如の第五男。 諱は光瑩、 愚邱と号した。 明治3年 (1870)、 明治政府の意向に応じて門徒と共に北海道に渡ってその開拓に従事し、 明治5年 (1872)、 石川舜台らと欧州の宗教事情を視察した。 明治22年 (1889) に継職すると教団の近代化につとめ、 また元治元年 (1864) に禁門の変によって類焼した本堂や御影堂の再建に尽力した。 明治41年 (1908)、 寺務を彰如に譲った。